ElysiaのCEO Rubenの開発日記Blogを翻訳してみる(前編)

ElysiaのHPを読んでいたら、CEOのRubenがSPL Transient Designer (あるいはElysisa nvelope)を開発した経緯を書いたブログを見つけた。読んでみるとなにか琴線に触れるものがあったのでその趣旨を訳してみることにする。

ちなみに私はnvelopeどころかElysiaを一つも持ってない。そのうち買いたい製品はいくつかあるけれど。xfilterとnvelopeとelysia skulpter 500が欲しいですね。めっちゃ欲しいのあるやん。


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写真はSPL Transient Designerのプロトタイプ"Kick Man"。上に見えるのは同じくRubenが開発したコンプDynaMaxx。この2つの製品が、1995年にSPLのエンジニアとして就職したRubenの初期の代表的な仕事だった。

2006年Elysiaの創業とともに発表したalpha compressorはいまも名を馳せてる名機だ。アライさんはレコーディングニワカ勢なので触ったこともないけど。顔がいいからたぶん音もいいんじゃないか。

まあいいでしょう。ともかく、Rubenの技術者としてのキャリアは、コンプレッションと共にあった。そもそもTransient Shapingの概念を1998年に「発明」したのがRubenその人だったが、そのTransientを扱うアナログ回路は、ブログの本文に出てくるように、Compressorの原理を応用したものだ。なので結局の所、alpha compressorであろうがnvelopeであろうが、そのアナログ回路はいずれにしても極めてRuben的なものと言って良いのかもしれない。


Transient Designerの発明(前編): 要旨翻訳

ここからが翻訳です。気づいたらTransient Designerを発明してしまった話(笑)の前編。

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みんなは知らないかもしれないけど、90年代で最も影響を与えた革新的オーディオ機材であるTransient Designerを発明したのは私(Elysia CEO: Ruben Tilgner)です。若くてお金もいらなかった私は当時「ある音」を求めていました。そのTransient Shapingの技術をどうやって思いついたのか、当時の私が何を考えていたのか、そしてこの話にMichael Jacksonがどう関係するのか、みなさんも知りたいでしょう。

(以下しばらく自慢が続くため省略)

音楽的必要性

アマチュアキーボーディストであり電子工学のエンジニアでもあった私が、1995年にSPLに就職したところから話は始まります。当時バンドを辞めた私は、寝室にスタジオを作り始めていました――音楽で一発当てようと思って――分かりますよね?

ホームスタジオにEnsoniq EPS 16+やKawai K4、Roland D70とKurzweil K2000を入れていました。90年代の普通のやり方で、音源をMIDI経由で古き良きCubaseとAtari 1040 STにつないでいました。

さらにスタジオにはいい感じのアナログミキサーとモニターがありました。そんな機材で作曲を始めて音響作業にとりくみ、一晩中ノブをいじってベストな音を出そうとしていました。当時の機材は残念ながらけっこう貧弱で、私はコンプレッサーは持っていませんでした。

転機: 会社のCreative Friday

SPLでは製品の品質管理の仕事をしていましたが、頭を使わない退屈な仕事でした。そこで私は金曜日を全力創作の日にすることにしたのです。

午前中にアイデアを練り、午後には手を動かしました。そこらへんにあるダンボールに回路図を書いて、ハンダゴテを握って熱心にとりくみました。

調子が良ければ金曜日の午後だけで、古い基板やシャーシなどから完全に新しい作品を作りだしていました。フランケンシュタインのようなやりかたでしたが、なにかすごい音響製品を作ろうとしていました。欠陥のある基板やパネルがいつもそこら中に廃棄されていたので、いくらでも使えたのです。

回路を活性化する

私自身を「活性化」するために私は、SPLのVitalizerの基板をつかってそこからなにか完全に違うものを作り出していました。このVitalizerの基板の良いところは、すでに機材に必要なインフラができていることです。パワーサプライがすでに実装されてあり、オーディオコネクタがすでにパネルについていて、ボリュームもあり、スイッチもあり。そういったものがパネルにすでに実装されていました。

ありがたいことに手元にはオペアンプもVCAのLM13700もたくさんあったのです。なんてラッキーでしょう。あとは基板の背面にポイントtoポイントで配線してしまえば機能しました。

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フロントパネルにはすでにたくさんの穴が開けられていたのでいつもそれをうまく利用しなければと考えていました。ボリュームのつまみは4つで済んでも、残りの穴もなにかに役立てようと考えたのです。

金曜の夜には、同級生だった友達がスプレー缶を持って待ち構えていました。できたての機材とビールを手土産にカバンに詰めて彼の家に行きました。パネルを塗装しなければならないのです。彼のスプレーの使い残しで塗装して、マジックで文字を書きました。

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そうやって私は、いろいろな謎の自作機材を自宅スタジオ用に作ったのです。一例をあげるとすれば、LFO付きのフィルターボックス、オートパナ―、ゲート、バスドラム音源などがありました。

Transient Shapingの初期アイデア

そんな自宅スタジオの自作音響機材で私は制作をしていました。ベッドルームスタジオのプロデューサーとして自作曲の音質改善に取り組んでいたのです。1991年、私はMichael JacksonのDangerousというアルバムを聞いて恋に落ちました。驚きの音質でした。特にドラムのパンチがとてつもなかった。そしてその時、自宅スタジオでもこの音を再現できなければならないと感じたのです。でもどうやって?

私の機材では作れない音でした。そして全知全能のインターネットは当時はまだ「学習中」だったのです。GoogleやYouTubeもまだ助けてはくれませんでした。当時はコンプレッサーも持っていませんでした。でも、今も変わらない私のこだわりがありました。

「無いものは作る」

同時に、Transient Designerの前身となるアイデアがありました。フランケンシュタイン的なやり方でいつも新しい機材を作っていたので、同じようにTransient Designerのプロトタイプを製作したというわけです。

The Transient Equalizer

この機材の基本的な原則はスレッショルド付きのノイズゲートに似ています。さらに、シンセサイザーのようにエンヴェロープをトリガーする仕組みにしました。そして、ディケイコントロールも。以前に触れたように、フロントパネルに最初から実装されている8個のボリュームを活用しきらなければならなかったのです。さらにノイズジェネレータを実装するアイデアもありました。バンドパスを使ってノイズジェネレーターをVCAにミックスするのです。余っていたボリュームノブは、ミックスコントロールとエフェクト信号のディストーション回路に使いました。これはサンプラーのスネアをトリートするのにぴったりなことが分かりました。この試作機で、すでに相当スゴいサウンドが得られましたが…

残念なことに、スレッショルドコントロールが必ずしもいつもうまく働くとは限らなかったので、それを改善しなければなりませんでした。信号レベルが低すぎると、エンベロープはトリガーされず、スネアのフィルが速すぎても、新しいエンベロープがトリガーされなかったのです。市販のノイズゲートの多くが、いまだにこの問題を抱えています。みなさんも思い当たるフシがあるのでは?この回路はすべての信号でかならずしもうまくいくとは限らず、残念ながら信頼性が低いのです。

私の初めてのコンプレッサー

ですから、割れたガラスの山の前に立って、私は眠れぬ夜を過ごしていました。エンベロープ、ダイナミクス、そして私だけのコンプレッサーの夢。このプロジェクトにたくさん時間を費やしたので、No.1ヒットするはずのアルバム制作のことを私は完全に忘れていました。どうやったらビルボードチャートを…でも「あの音」がなかったら!…そして私は突然思いつきました。声がこう言うのです。「コンプレッサーだ、Ruben!コンプレッサーだ!」

1996年私はついに、DynaMaxxというはじめての独自設計コンプレッサー開発に成功しました。

挑戦

たった一つのノブで機能するコンプレッサーを開発するのは大変でした。その実現のために、どうやって交流電圧をVCAのコントロール信号に変換するかという課題に取り組みました。整流と時定数の扱いがとくに困難でした。そのために、可能な限りまともなコンプレッションを得るためのテストに、Kurtzweil K2000を数え切れないど動かしました。時定数の終わりのない調整を経て、いろいろな信号で使えるまともな振る舞いが実現できました。DynaMaxxは当時からすでにfeed-forward方式のコンプレッサーでした。さらに、デコンプレッサーと賢いノイズゲートも実装できました。

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初めて私が開発したこのコンプレッサーは本当に売れました。便利だったので、たくさんのスタジオとライブハウスに納入されたのです。

まさにこのDynaMaxx開発のおかげで私は、コンプレッサーのサイドチェーンのエキスパートになりました。エンヴェロープもマスターしたのか?それは後編のお楽しみに。

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