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エコー・アンド・ザ・バニーメンのウイルの自伝(5)

中学を卒業後、バイト先のデパートの食堂にそのまま
就職してコックの仕事をしていたウィル、
偶然見つけたクラブ、エリックスに通う様になり、
リバプールの音楽シーンに徐々に参加して行きます。
そこで「マッカル」、イアン・マッカロクと出合います。
二人でギターのセッションを始めました。
友人レスを加え、作った曲をエリックスで演奏しました。
いつの間にかバンド名がついて、自主制作盤が評判になり、
メジャーレコードと契約することになります。
まるで夢の様な展開です。

彼は書いています。
「僕は正しい時、正しい場所にいた。」
つまり、パンク後、大手のレコード会社は
荒削りでもいいので、新しい感覚の
若者が共感できる等身大のバンドを探していたのです。
そこにすっぽりとはまったのが
エコー・アンド・ザ・バニーメンでした。

一見して全てが順調に見えるような
ラッキーな物語ですが
彼の自伝には、生まれ育った家族との暗く乾いた
生活も描かれています。
父親は第二次大戦に従軍し、
恐らくはその為、PTSDになり、
家族に対して心を閉ざし、特に妻に暴力を振るいました。
兄と姉は早々にこの暗い家族から逃げ去り、
小学生のウィルだけが家に残されます。
さらには13歳の時に母親が家から出て行ってしまいます。

その後は父親と二人暮らしが続きます。
父親はウィルに暴力を振るうことはありませんでしたが、
ほぼネグレクトの状態がずっと続きました。
マックとセッションを始めた家はこの父親の家です。

ウィルは感情を抑圧せざるを得ない環境に育ったため、
必要以上に自分をおさえてしまう傾向があるかもしれない。
と記述しています。
確かに、若い頃の彼の写真を見ると無表情であることが
多いかもしれません。

ただ、彼は必要以上に自己憐憫に陥ることなく、
静かにギター一本で世界と対峙してきました。
マックがバニーメンを脱退しても
エコー・アンド・ザ・バニーメンを続けたのは彼です。
自伝での実直な飾りのない筆致は彼の性格を表しています。
静かな強さを感じさせます。

この静かな強靭さというのは、
ニュー・オーダーのバーナード・サムナーの
自伝でも感じたことです。
バーニーの生い立ちはウィルとはまた別の意味で
困難に満ちたものでしたが、
自己を突き放したような冷静さがありました。
結果的には二人とも成功したミュージシャンですが。

困難があっても状況と自分を切り離し、
必要以上に悲観的にならないということは
生きのびて成功する秘訣なのかもしれません。


(MIXIより)

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