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自分がどこに向かって進んでいるのか

新幹線がトンネルの中に入った。今まで見えていた畑の景色が一瞬で真っ暗になる。そして窓には列車の中の様子が鮮明に映る。窓側に座る自分と横に座る母。母は雑誌を読んでいる。
窓に映る自分は幸せそうには見えない、「どうした、麻夢」と一人でつぶやいた。私はため息をついた。また東京で寂しい退屈な生活が始まるな。

山陰地方の山沿いに両親の実家がある。ローカル電車の停まる駅に近いところには母の育った家、山奥に入りかかるところに父の生家があった。両方の家の距離は車で15分ほどだ。町の中心部には、大きな川が流れている。生活には不便なく、自然もあるバランスの取れた田舎町だ。

覚えているのは弟が生まれてまもなく、母と弟そして私の三人が東京駅で父に見送られているところ。幼稚園が夏休みになり、私たちは東京から両親の郷里へ帰る。たった一か月強、一人暮らしになる父は、目頭に涙を貯めている。よほど私たちと離れるのが寂しいらしい。父の涙を見るのは辛かったが家族がたくさんいる郷里に帰るのは私の一番の楽しみだった。

両親の兄弟はほとんど郷里にいるから、一年に一度の里帰りで私はすごく可愛がってもらえる。祖母、叔父叔母、従妹、賑やかだ。
父か母の実家、または叔父叔母の家、泊まるところはたくさんあるから困らない。一か月という決められた時間の中で私はあちらこちらに泊まり歩く。時には母や弟とは別々のところで生活したりもする。

自然に恵まれた環境の中で、子供の感性のままに日々を過ごした。朝のラジオ体操で一日が始まり、午前中には山や川で遊びまわる。お昼ご飯を食べるとお昼寝をさせられた。眠る時間も惜しかったけど、横になると心地よいそよ風が肌にあたり、気持ちよさの中で夢の中へ。
夜も眠る時間が惜しかったけど、従妹と物語を作って読んでいると心地よさの中に夢の中に入っていた。
父の実家の畑に祖母に連れられて野菜を採りに行く。自分の手にした野菜がテーブルに並ぶのも嬉しかった。
自分の好きなものが他の人と重なると取り合いになることもしばしばある。
会話は話が入り混じる。もっとも私は小さかったから大人が何を話しているのは理解できていなかった。
朝ごはんも、お昼ご飯も同じようなものが並び、毎日が同じ流れなのに退屈しない。

時々叔父叔母が連れて行ってくれる夏まつりが一つ大きなイベントだった。
始めてみる花火、目の前ではいろんな色が光って綺麗だったのは記憶の片隅に残っている。

「何か飲めば」と窓に映った母が言う。私はこの現実に引き戻された。
楽しかった時間はどこに行ってしまったのだろう。従妹や叔母は今この時間どこにいるのだろう。自分のいるこの場所と祖父母の家は時間の空間があるのだろうか。「みんな消えてしまった」と思った私がいた。
戻りたい、あの田舎に、というよりも楽しかった時間に戻りたいと思っていた。

過去は過ぎ去り、私の乗った新幹線は未来へと進んでいる。あの時の私は寂しさに埋もれていた。
今、過去、未来という時空の中での迷子になっていたに違いない。

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