【漢詩教室】第一回



【漢詩教室のメモ】一回目。3/14。

全3回の漢詩教室に参加しています。
習ったことを忘れないように、メモを残しておきます。

●漢詩と和歌の違いは?
いまやっている大河ドラマ「光る君へ」(源氏物語の作者の紫式部が主人公)の中で、漢詩と和歌の違いについて話すシーンがあったとのことで、そのセリフの紹介から始まりました。

「和歌は、人の心を、見るもの、聞くものに託して、言葉で表す」「漢詩は、志を言葉で表す」

和歌は、まず伝えたい心があって、それを風景や音などで表現する。漢詩は、まず志(論理?)がある。ということかな?

(とすると、わたしは、漢詩を和歌の読み方で自己流で読んでしまっていたのかもしれないと気づきました。まず心があって、その心を伝えるために風景描写がある、という前提で読んでいたけど、読み方が違ったかも?)
(後日、講師の安田さんにお聞きしたら、やはり「漢詩は風景を心のないものとして読むことが多い」そうです)

●漢詩とは何?
『毛詩(詩経)』大序からの引用で説明されました。

詩者、志之所之也。
在心為志、発言為詩。
情動於中而形於言,
言之不足,故嗟嘆之。
嗟嘆之不足,故永歌之。
永歌之不足,
不知手之舞之,足之蹈之也。

意味・詩は志で、それが言葉になると詩になる。心が動いて言葉になって、それでも足りず声が出る(嗟歎)。それでも足りず全身で舞う(永歌)。それでも足りず、ついに手足が動き踊り出す。
(↑ちょっと違うかもです)

漢詩が、詞(歌詞)で、歌に歌われたりすることを思うと、わかる気がします。さらにこれを能楽師(歌い、舞う人)の安田さんから習うと、とても納得します…。

●和歌とは何?
『古今和歌集』仮名序からの引用で説明されました。

[やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出いだせるなり。]

やはり、和歌はまず心(感情、感覚)があって、言葉にするということみたい。

●杜甫「絶句」
江碧鳥愈白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年

江碧にして鳥愈々白く
山青くして花燃えんと欲す
今春看々又過ぐ
何れの日にか帰年ならん

講師のお二人の好きな漢詩の紹介がありました。安田さんはこの「絶句」が、「好きと言われてみんなが想像するレベルをはるかに超えて大好き」だそうです。
漢詩は四行とか八行の中に「起承転結」があります。
この詩は、一行と二行で「動くものの中に止まっているものを見る。止まっているものの中に動くものを見る」ところが、安田さんはお好きなんだそうです。止まっている風景で鳥が動き、花が咲き始める。
安田さんは高校生の頃に実際にそういうふうに風景が見えていたので、自己投影されているというお話だったかな?
三行目の「看々」は、手を額に当ててよく見ること。見ているうちに変わっていくスピードが表現されている。
四行目の「何日是帰年」には、地方出身で東京に出てきた安田さん自身を投影されているようでした。故郷を離れると故郷に居場所がなくなり、かといって都会は自分の場所だと思えないままで、帰る場所がなくなってしまったという気持ち。
これを聞くと、知識をもとに読みつつ、自分を投影して、好きな解釈をしてもいいのかなと思いました。

●漢詩を作る
最後に、自分で一行だけ漢詩を作ってみるコーナーがありました。
韻、平仄、二四不同、二六対、など文法の簡単な説明がありました。漢字二文字と漢字三文字のいろんな言葉の表から、好きな漢字を選んで、文法をもとに七文字を組み合わせて一行作ります。
わたしはすごく悩んで、

樹底 蹈花 一片紅
(木の下で 落ちた花を踏む 花一つだけ赤だ)

と組み合わせてみました。
「ぼんやり木の下を歩いていて、落ちている花を踏んでいたら、一つだけ鮮やかな赤い花があった」
という意味です。
さらに、自己投影して好きな解釈をするならこう続きます。
「花が綺麗だから踏めなくて、足を止めたとき、自分の心の奥の気持ちに気づいた。それは花の鮮やかな赤のような、情熱的な恋心だった🌹」

こう考えたのですが、言葉の連なりとしてちゃんとできてるのかわかりません。
あと、二行目以降の作り方もまだわからない…

漢詩は四行や八行で「起承転結」の構成で作るので、一行目は「起」のはずです。でもわたしが作ったものは、一行で「序破急」(歩いてる/花を踏む/赤色に心を囚われる)の三部構成になってるので、日本風だなと思いました。あと、この一行でもう話が終わっていて、俳句みたいというか。やっぱり日本っぽいな、と。

日本風にではなく、漢詩を漢詩として読むこと、書くことができるよう、考えていきたいと思いました。

次回の授業は4月です。

余談ですが。
講師の渡辺さんが「無月(曇って月が見えない)の向こうに、あるはずの月を見る(幻視する)のが漢詩ですから」と仰ったとき、心の中で「そんなのオタクが大好きに決まってるだろ!!」と思って、声に出しそうになったけど、生徒なので我慢しました。それいわゆる我々の「解釈」ですよね…?(早口)

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