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少年期の回想(小学校中学年:後編)

小学校中学年後編ということで、小学校生活も折り返し地点を通過しました。

4年生の頃の記憶を辿りながら、思いつくがままに書き記していきます。

依然、体格は小さく痩せていたので、一見いじめられっ子体質のような見た目でしたが、

学力とそこそこの運動能力を武器に、確固たる地位を築いていたので、

平和な学校生活を送ることができていました。

また、この頃から世渡り術を覚えていたようで、喧嘩の強いクラスメイトを味方につけ、自身の安全保障を確立していました。

友達に意地悪はしませんが、スネ夫くんタイプだったと思います。


そして、この頃から塾通いが始まりました。

隣町が国内有数の大都市であったため、様々な塾が乱立していました。

このような中で、私が通った塾というのは、中学受験専門の塾であり、私立中高一貫校を目指すための塾でした。

教室は関東と関西を中心に西は九州まであるような、当時としては大きな塾だったと思います。ちなみに現在この塾は経営が変わり存在しないようです。


地元の小学校では優等生であった私が、初めて挫折を味わった授業と試験でした。

とにかく難しい。。。

毎週全国試験があり、常に偏差値との戦いをしていましたが、小学校で習う内容とは全く異なり、同じ学年の試験とは思えないような難易度でした。

当時、その塾から、関東であれば開成 筑駒 麻布など、関西であれば灘 東大寺 洛星など、九州であればラ・サール 久留米附設など といった超名門校に続々合格していたわけですから、ハイレベルであったと思います。


塾のクラスには賢い人がたくさんいました。私のような公立小学校に通っている人が大半でありましたが、私立の名門小学校や国立大附属小学校の子もちらほらいるような教室でした。

授業と試験について行くだけで精一杯でしたが、それでも少しずつ塾に慣れていき、友達にも恵まれ楽しくなっていきました。

ただ、今から考えても塾での勉強が楽しいと思ったことが一度もないのです。例え試験で良い成績を取れても嬉しいという気持ちになれなかったわけです。

母親から言われるがまま、志望校を決められ、中学受験のレールに乗せられただけですので、何のために中学受験をするのか、なぜ私立中高一貫校に行くのか、なぜそのような勉強までしないといけないのか。全く分からなかったのです。


皆さんはこの状況をどのように考えるでしょうか?

私は、やはり子どもは基本的に無知であるので、ただレールに乗せるだけではなく、なぜそのようにした方が良いのか等、納得いくように教えてあげる必要があると思うのです。そして、子どもとはいえ親とは別人格です。一方通行のアプローチは教育的にも良くないと思うのです。

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