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本日の一曲 vol.223 キッス ベスト・オブ・ソロ・アルバムズ (Kiss: Solo Albums, 1978)

もはや説明不要と思われるキッスが1978年に4人のソロ・アルバムをリリースするまでに、6枚のスタジオ録音のアルバムと2枚のライブ・アルバムをリリースしていました。キッスのデビューアルバムは、1974年のリリースでしたので、この約4年間でキッスは大ブレイクをしたのです。日本でもたくさんの若いキッス・フリークを生み出し、当時はベイ・シティ・ローラーズと人気を二分していました。

キッスは、歌舞伎メイクで顔出しなしでしたので、その謎に包まれたミステリアスなイメージ作りも成功していたと思います。日本でも「聖飢魔II」などのフォロワーを生み出したくらいです。

人気絶大だったキッスでしたが、バンドとして4~5年活動していると、煮詰まってくるのでしょうか、バンドの倦怠期が訪れるのはよく見られることで、キッスも例外ではなかったのでしょう。1978年9月には4人のメンバーそれぞれがそれぞれのソロ・アルバム1枚ずつリリースしました。

当時日本でのキッス人気を支えていたのは、中学生・高校生のティーンエイジャーでしたが、当時のLPレコードのお値段は1枚2500円、4人全部のソロ・アルバムを買うと2500✕4の1万円もかかったのです。日本での人気にこのソロ・アルバムのリリースが水を差したことは間違いなかったと思います。

Wikipedia日本語版には、「1978年春、2度目の日本ツアーを行うが、楽屋では物を投げ合い、つかみ合いの喧嘩が行われたという。このときバンドの人間関係は最悪な状態になっていた。」「行き詰まったバンド内の人間関係を修復し現状を打破すべく、またソロ活動を望むフレーリーのためにも、各メンバーがそれぞれソロアルバムの制作を発表。グループは人気絶頂でありながら当分のライブ活動休止を宣言する(既に1978年初頭にはソロアルバムのレコーディングを行っており、来日時にもスタジオを借りてレコーディングしていた)。」と書かれており、バンドの状態としてもよい状態ではありませんでした。

その中でリリースされたソロ・アルバムは、同じデザインで、それぞれの顔が描かれているというものでした。それまでのキッスのサウンドは、いわゆるハード・ロックであり、多感な中学生・高校生にとっては、そこも魅力だったと思います。ところが…..

確かに、それまでキッスには「ベス(Beth)」や「ハード・ラック・ウーマン(Hard Luck Woman)」などアメリカンなポップ路線のヒット曲もありましたが、4人それぞれがおそらくやりたいであろう曲を収録した結果、エース・フレーリー(Ace Frehley)さん以外はポップ路線だったので、当時のハード・ロック少年少女は「え!?」となってしまったのです。

このソロ・アルバムは、ポール・スタンレイ(Paul Stanley)さんによれば、「ここでソロアルバムを発表して落ち着かなければキッスは確実に解散していた」というものであり、その後のキッスの音楽を聴いてみると、方向転換の指標を示したものだったと言えると思います。

(by R)


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