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毒親育ちで自死遺族になったので水商売で働いてみた話⑦

前回の記事はコチラ🔻

入院編は今回で最後です。
前回の記事に書いた、ナースステーションと看護師の闇を書く前に。
他にも、普段なら接点の無い患者をあげていこうと思います。

①覚醒剤を使用した女性
この方は性格は落ち着いてて平和なのですが、薬のせいなのかぼーっとしていることが多く、話しかけても反応が少し遅れます。
薬の怖さを感じましたね。
因みに、デイケアだかグループホーム等、福祉系のお仕事をしている彼氏がいるんだとか。
男性患者には彼女なんてほぼ皆無なのに、矢張り恋愛において女性は有利なのか。。

②合法ドラッグを使用した男性
この方とは直接お話ししてないのですが、他の患者と接しているときはその辺にいる陽気なおじさんという感じでした。

③いつも臭い患者
何の病気か不明。ある日、いきなりロビーにあるゴミ箱を漁り出す(!)。
他人と会話をしているところを見たことがなく、看護師の前で薬をゴミ箱に捨てるし臭いので、看護師からも患者からも困った患者認定されている。

④5年入院している女の子
まだ若いのに。。
10代〜20代前半くらいかな?
作業療法という、いわば社会復帰に向けたリハビリの作業でキーホルダーを作ったり塗り絵をするのですが、そのときに聞こえてきた会話から、5年入院していることが分かりました。

⑤知的障害の男の子
10代後半〜20代前半くらい?
保護室に居たときに隣の部屋に居た奴なんだけど、何故かここの病院は保護室が二部屋1セットで、それぞれの部屋を仕切る壁の上に赤ちゃんくらいなら出入り出来そうな空いてる部分がありました。
日々、隣のこいつの独り言が聴こえてきてそれだけでも不快なのに、ある日、「ちん◯!ちん◯!」と卑猥なことを叫び出し、メンタルがやられていた私は泣いてナースステーションに駆け込みました。
結果、奴が部屋移動をすることに。

⑥何の病気か分からないおばさん
これは完全に私の落ち度で申し訳ない話なのですが、最初の頃に話した患者達が揃いも揃ってオープンだったので、あっさり自身の病名を教えてくれました。
私もオープンなので、病名や入院までの過程を話すのも苦ではなくて、ついその調子で「何の病気なんですか?」と聞いたら、「個人的なことはちょっと……」と言われ、「そっか。言いたくない人もいるよな」と反省。

⑦一人怒鳴り続ける男性患者
ここからが、ナースステーションと看護師の闇になるのですが、一人でずっと怒鳴っている患者がいました。
うるさいのが理由なのか、保護室行きへなったのですが、保護室にあるカメラはナースステーションから見ることが出来ます。
そこで、Tちゃんが「私、さっきナースステーションで見ちゃったんだけど、男性看護師さん達が『あいつ、また怒鳴ってるよ〜』って笑ってて……」と呟きました。
私が見たわけではないのですが、私はこれは本当だと思ってて、とあるやる気の無い男性看護師の仕事ぶりを思い出したことに起因します。
漫画の置いてある本棚は男性病棟にしかなく、鍵がかかっているので看護師を呼ぶ必要があります。
別の女性看護師は男性病棟への鍵を開けて本を選んで私が女性病棟に戻るまで付き添ってくれました。
これは、性犯罪防止もあるのかな? と、思ったり。
しかし、その男性看護師は男性病棟への鍵だけ開けるとさっさとナースステーションに戻っていきました。
やる気無さすぎ。

もうひとつ。ここの病院では、携帯電話の使用許可が出ても、LINEやメールの内容を読むだけで返信やネットサーフィンはNGでした。
私がメールを読んでいると、「もしかしてメールを送ってない!?」と鬼の首を掴んだかのように先程の男性看護師が携帯電話を奪いました。
メールを送信していないことが分かっても謝罪も無い。
(看護師のお前に感情があるように、患者の私にも感情はあるし、最低限の人間扱いをされないって苦痛なんだけど)
なんて言ったところで、それを理解するだけの頭も聞く耳も持ち合わせていなさそうなので黙っていました。
というか。兎に角、看護師に目をつけられたくなくて、私は作業療法以外では気配を消してた気がします。
でも、ロビーにいて元気だよアピールをするときもありました。臨機応変大事。

私はこんなクソな看護師に面倒を見られるのが情けなくて悔しくなりました。
今でも嫌いな看護師ベスト5に入ります。
本当に、ただただ「食うため」だけにやってる看護師なんでしょうね。
あとは、ストレス発散?
でも、精神科勤務だからストレスを溜めてるようにも見えました。

規制はどんどん緩和されてゆき、公衆電話からの電話もしていいことになり、彼氏というか元彼に電話しました。
恐ろしいことにショックのあまり、私は別れ話をされた記憶がすっぽり抜けていて、そのときの状況を説明されました(つまり、このときまでまだ恋人関係であると思い込んでた)。
電話で別れ話をした、と。
なんとなくここの記憶は今でもうろ覚えで、この後この人とやり直すことはありませんでした。

つまらなく惨めな入院生活は続き、作業療法という社会復帰へ向けたリハビリ兼ずっと部屋に籠っているのは良くないよね、ということでキーホルダー作りや塗り絵、カラオケ等をするのですが、医者の心証を良くして少しでも早く退院する為に、私は取り敢えず参加することにしました。
(なんか、やってることが老人ホームや幼稚園のレクリエーションみたい……)
しかも、この作業療法に携わったスタッフは私と同い年の人もいて、「同い年の人がこんなに働いているのに、私は何をやってるんだろう……」と落ち込むこともありました。

そして、二ヶ月経った頃、予定より一ヶ月早く退院が決まりました。
後から知ったのですが、最初に渡された書類の入院の予定期間に「三ヶ月」と書かれていたのは、ほとんどの人がそうらしく、理由は三ヶ月をこえると国から病院へ支払われるお金が減るからみたいです。お、大人の事情。。

そうして、私は退院して二ヶ月ぶりに外に出ることが出来ました。

#創作大賞2023 #エッセイ部門


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