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4ヶ月目。

世間はクリスマス。
そんな中、引越して4ヶ月目に突入しました。

この1ヶ月は本当に色んなことがあって目まぐるしい日々だった。

月初は東京出張から始まり、
大阪に慣れて、逆に東京の事業所に居場所がないような感覚になったり

東京の後輩とランチに行ったけど
仕事へのやる気のない姿勢にとても指導どころじゃなくて、逆にモチベーション高いメンバーと一緒に仕事できることにありがたみを感じたり。

出張から帰って
大阪チームで忘年会して盛り上がって
ここから皆んなでがんばろうねって気持ちが上がっていたその時だった。

祖母の訃報を聞いたのは。

急いで実家に帰った。

もう97歳だったし
脳出血で運ばれてから寝たきりだったし
認知機能もどんどん落ちてて
会いに行っても普通の会話は難しい状態だったけど。

それでも。

「さくらか?嫁に行ったか?」

って。

私だってわかってくれて、
お決まりの言葉をかけてくれるのが嬉しかった。

転勤が決まった時
会いに行って
とても小さなお婆ちゃんの姿を見て
生きて会えるのは最後かもしれないって
どこかで覚悟もしてた。

お婆ちゃんの温もりを忘れたくなくて

「行ってくるね」

って、ぎゅっと握った手を
力強く握り返してくれたのを今でも覚えてる。

知らせを聞いて
急いで帰って会ったお婆ちゃんは
やっぱり小さくて握った手は冷たくて 
もう握り返してはくれなかった。

今でも思い返すと涙が止まらない。。。 

おばあちゃんには孫が11人いる。

だけど、同居してたのは私と兄だけ。
だから1番厳しく怒られたし、その分1番可愛がってもらった。

おばあちゃんはいつも言っていた。

「孫はみんな可愛いけど、やっぱりさくらとお兄ちゃんが1番可愛い。一緒に住んでたからかねぇ。

お婆ちゃんは幸せだから、もういつ死んでもいいけど、さくらの花嫁姿を見てからじゃないとねぇ。」

だから認知機能がどんどん落ちていっても
最後まで同じことを言ってたんだと思う。

お婆ちゃんに花嫁姿を見せてあげたかった。
成人式に買ってもらった振袖をお色直しで着たかった。

だからもう少し生きてて欲しかった。

(おばあちゃん的にはもう待ちくたびれたんだろうけども)

お通夜から火葬まで出席して、おばあちゃんを最後まで見送って、大阪に戻った。

*****

戻ってから暫くは気持ちの整理がつかなくて
せっかく高まったモチベーションもプチっと切れてしまったけど

新製品ローンチでやらないといけない事があったので、淡々と取り組んだ

そうやって日々が過ぎる中で、
思い出して悲しくなって泣いたり
友達に話を聞いてもらったお陰で
段々と切り替えられるようになってきた。

まだ悲しいけど
もう会えなくて寂しいけど
思い出が消える訳じゃない

寂しい気持ちを無理に抑えず
思い出と一緒に抱えて
自分の道をしっかり歩いて行かなくちゃ。

さくら

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