私がお気に入りを捨てる理由

部屋にお気に入りのヴィンテージな白い作業台がある。2年前に買った。元々は車屋さんの受付で使われてた。もともと汚くて傷だらけだったけど、物語があって完璧じゃないコイツが好きだった。2年間、毎日自然に増える絵の具汚れも傷も、愛着だった。でも、捨てることにしたんだ。(写真はその作業台。)

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ちょうど一年前、渋谷で財布を無くした。人生で初めてだった。普段は絶対になくしものなんかしないのに、しっかりお金が入った財布を無くした。自分で少し背伸びをして買ったGUCCIの財布だった。そのあと、帽子だとか指輪とか、そんなものを出かけるたびに次々になくした。最後には18Kのブレスレットまでなくした。何が起こっているのかわからなかったし、怖かった。でも今になってわかるのは、その時は明らかに変わらなきゃいけない時だったということ。

自分を着飾るためのものがどんどん消えたんだ。私は自分の身を固めようとしていた。夢があり、これからどんどん変わったり吸収したり、内側の部分を磨いていかなきゃいけないのに、私にはまだ要らないプライドがあった。捨てきれないその見栄が、重たい荷物になっていた。その後私は自分の「お金がない」だとか「しょうもない絵しか描けない」とかいった恥を認めたし、要らないプライドや見栄は捨てるようにした。沢山恥をかこうと思ったんだ。

そうしてからガラッと人生が変わった。要らないものを詰め込んでいた空白に新しいものが沢山舞い込んできた。人生はそういうものなんだって気づいた。上へ上へ上がっていきたいと思うのなら、荷物は軽い方がいい。大事なものだけを背負って、自分に必要なものを拾える余裕を持つこと。

だけどそれからまた一年が経って、どんどん身が固まってしまうのを感じていた。あの時は必要だと思ったものは、今も本当に必要か?

最近の私には余裕がない。身を固めてしまいそうな感じがとても窮屈で辛い。もっと高くジャンプできるような余白が欲しくなった。私が欲しいのは「これから」でしかない。この先にしか興味がない。今身の回りにある「過去」や「見栄」や「プライド」が一気に鬱陶しくなったんだ。もっと丸裸になって恥をかきたい。

だからまたいろんなものを捨てる決心をした。作業台や、固定概念や、安定や、見栄や、パターン化した生活も。

私に必要なのは光と画材だけだったんだ。



もっとたくさんの人へ届けられる日まで。 いつも、ありがとうございます。