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昭和45年、関東初のダイエー(八王子店)のおもちゃ売り場として出店

高度経済成長期だった昭和40年代のはじめ、おもちゃもよく売れていました。
「リカちゃん」や「人生ゲーム」など、今でも親しまれているおもちゃが誕生した時代でもあります。
(写真は、2014年開催の「ドール・カルチャー展」にて撮影)

その頃、私は小学校高学年でした。ある日、父が私に
「お前はおもちゃ屋の娘で、学校の友達の間で恥ずかしくないか?」
と聞いてきました。私は
「どうして?みんなおもちゃ屋と知って、うらやましがるよ!」
と言ったら父が「そうか」と言って笑っていました。
父としては、私立小学校へ通っている私の友達が、お医者さんの子どもや大企業の重役の子どもが多かったので、心配したようです。

そんな昭和40年代前半、私の父が経営するおもちゃ屋「さくらトイス」は、新店舗を次々にオープンさせました。
中にはテナント出店もあり、スーパーマーケット「ダイエー」が関東に初進出したお店にも、おもちゃ売り場として「さくらトイス」ができました。

昭和42年、一橋学園駅前に2号店をオープン

オリンピック景気も重なり、売り上げを順調に伸ばしていた横田基地前のさくらトイスは、2号店を出店することになりました。
場所は、東京都小平市の一橋学園駅前です。

当時お世話になっていたレジスター業者のNCRが物件を紹介してくれて、先にレコード店が入っていた店舗に一緒に入ることになりました。広さはさくらトイス30坪:レコード屋20坪くらいでした。

さくらトイスは順調に営業を続けましたが、ある日突然、レコードがいっぱい詰まった段ボール箱がいくつも、家の庭に運ばれてきました。
レコード屋がうまくいかなかったようで、経営者が夜逃げしてしまったそうです。そして、父はレコード店の保証人になっていたため、商品のレコードを引き上げてきたのです。しかし二束三文で、多額の借金の返済が父に降りかかってきました。
幸い返済はできましたが、「何があっても、相手が誰でも、絶対に保証人は引き受けるな!」と、子どもの私に向かって父は言いました。

昭和44年、所沢駅前店オープン。サンリオ商品の取り扱いも

昭和44(1969)年 、レジスター業者NCRが、今度は所沢プロぺ通りの物件を紹介してくれました。所沢駅西口を出て商店街入口すぐの2階の物件で、1階が木下楽器店。(現在は木下楽器店・ヤマハ音楽教室として残っています)。ここに3号店「所沢駅前店」がオープンしました。

店舗ではなく事務所として貸すつもりの物件だったとのことで、階段が急でステップ幅が狭く、急いで上ったり下りたりしている子どもたちが、階段から転げ落ちていたことを覚えています。しかし、売り上げの良いお店でした。

ここでは、サンリオ商品を初めて扱いました。
私もこの店で初めてサンリオ商品と出会ったことを覚えています。
それまで「女児玩具」というと、人形やままごとばかりだったのが、中学生の私でも欲しいと思うようなかわいい商品が、うちの店にも入ってきました。当時キティちゃんはまだ誕生前で、かわいいいちごの柄をプリントしたティッシュや、イラストレーター水森亜土さんのなどの雑貨が中心です。

私は10年ほど後に、サンリオ商品などを扱うファンシーショップを経営することになるのですが、もちろんこの時には知る由もありませんでした。

昭和45年、八王子ダイエー店オープン

昭和45(1970)年、関西で成功していたスーパーの「ダイエー」が関東に進出。東京・赤羽と八王子に店を出すことになりました。

ダイエー側は八王子店に大きなおもちゃ売場を作りたいと考えていて、テナントを探していたそうです。福生・横田に大型のおもちゃ屋があることを知り、「100坪でおもちゃ売り場を作ってほしい」という話が来ました。なんと、オープンの1か月前のことです。

100坪と言えば横田のお店と同じ規模です。そのため、品揃えも1か月でできると考えた父は、出店を決めました。

場所は八王子ダイエー5階のフロアーの真ん中で、壁面がありません。どうやって店のボリューム感を出すか苦労したようですが、結果うまくできて、来店した子どもたちは、自分たちより背の高いおもちゃに囲まれて、とても喜んでくれました。

当時の店内の写真が、業界誌『トイジャーナル』に掲載されていましたので、画像をお借りすることができました。

手前には、ディズニーキャラクターのぬいぐるみがありますね。
奥にはずらっと、車のおもちゃが見えます。

2点とも、「トイジャーナル」1971年2月号より

レジはこんな雰囲気でした。広いラッピングスペースがありました。

この頃、テレビ放送では1966年からウルトラマンが始まり、71年には仮面ライダー、75年にはゴレンジャーと、キャラクター玩具も花盛りでした。
ダイエーの屋上で、ゴレンジャーのキャラクターショーをしていたのを覚えています。

この八王子店は、1995年まで25年間営業していました。
こうしたダイエーでの成功を受けて、石神井公園の西友からも出店の打診がありました。この後の10年ほどは、スーパー内での出店が続くことになります。また次回、お話しますね。


昭和27年から平成19年までの55年間、東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城の各地に34店舗を構えていたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長を務めた私が、おもちゃ屋の思い出話、懐かしいおもちゃのことをつづっていきます。毎月11日に公開予定ですので、続きをお楽しみに!
また、「さくらトイス」のことを覚えている方、ぜひコメントをくださいね。
編集協力:小窓舎


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