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平成9年、3日間で1万個のたまごっちが完売!丸井溝口店

この連載では、戦後すぐに私の父が開業し、後に私が二代目社長を務めたおもちゃ屋「さくらトイス」について書いています。

前回の記事では、平成元年から平成6年ごろ、私がさくらトイスの副社長として、本格的にお店に関わるようになった頃のことを書きました。

その後の平成8(1996年)に父がさくらトイスの会長に、私は社長になりました。
このころは、おもちゃ業界に女の社長は少なく、メーカーのピープル、業界新聞のトイズサービス、専門店の私と3人だけでした。
会社ではやりがいも大きくなりましたが責任も大きくなり、「私にできるかしら」と不安もありました。そんな、とりわけ思い出深い時期のことを、今回はお話します。


平成9年、マルイファミリー溝口店に出店

私が社長になってすぐに、丸井から溝口店の出店要請がきました。
JR線・武蔵溝ノ口と東急線・溝の口の2駅があり、丸井としても力を入れていたファミリー対象の大型店です。店名も「マルイファミリー溝口店」です。

早速現地の視察に出かけました。
街の雰囲気は下町風で活気がありました。
駅から少し離れた場所にイトーヨーカ堂があり、広いおもちゃ売場を展開していました。街道に出ると少し離れていますが、トイザらス高津店がありました。
競合が多いということはそれだけ需要があるということで、商圏の広さと丸井の力を武器に出店を決めました。

溝口店オープンの目玉は、1万個のたまごっち

私が副社長になってからは、新店オープンや改装オープンのときには、その時の話題おもちゃを揃え、目玉商品に当てることにしていました。

マルイファミリー溝口店のオープンは平成9(1997年)11月。オープンに当てる商品は前年の10月から販売されていて大ヒットとなっている「たまごっち」に決めました。

画像は「トイジャーナル」より

オープンを決めた4月に、早速取引先の問屋(ハピネット)に「11月オープンする溝口店にたまごっちを1万個用意して頂けませんか?」とお願いしました。
たまごっちの売値1980円はですから、1万個で1980万円です。おもちゃの世界ははやりすたりの移り変わりが早く、果たして半年後にもたまごっちの人気が続いているのかも心配でしたが、思い切って勝負しました。すぐに返事は頂けませんでしたが後日OKが出ました。

実はハピネットの創業者は元バンダイ社員で、さくらトイスの担当でした。その方がバンダイ商品のみの問屋を始めた時に、父はすぐ取引を始めました。ハピネット創業当時、小売店ではうちが一番目の取引先だったので、さくらトイスのお願いを聞いてくれたと思います。

マルイファミリー溝口店は華々しくオープンしました。
もちろん、「たまごっち」はオープンの目玉商品で、マルイはうちのレジの他に1台特設レジを増やして、たまごっち販売を応援してくれました。

1万個は確か、二日半で売り切れたと思います。
レジには長い行列ができました。新たにシステム開発した丸井のコンピュータのレジだったので、反応が従来よりも遅く、並んでいるお客様に「何をモタモタしているんだ!早くしろ!」と叱られました。

でも「たまごっち」の威力は偉大で、一気にマルイ溝口店おもちゃ売場の知名度は広がりました。
丸井社内でもさくらトイスの名前が広まり、当時の丸井副社長からも直接、私に感謝の言葉をいただきました。嬉しかったです。

丸井溝口店の売り場の様子。(トイジャーナル掲載)

その後、溝口店は売り上げも良く、私が社長の時は国分寺店と一緒に会社を引っ張っていってくれました。

溝口店で印象に残っているのは、売り場の隣にベネッセしまじろうの遊び場ができたことです。この遊び場コーナーは、ベネッセでも初めての試みでしたが、オープン以来毎日行列ができました。土日などはうちの店まで行列が伸びていました。
「これからはモノを売るより、体験を売る商売の方がリスクが少なく、メリットがあるかな」と考えさせられました。

ラッピング用品、研修、社員食堂など、丸井出店の思い出

私が社長になった頃は丸井内にさくらトイスの店舗数が増えていったので、丸井も協力的で、とっても良くしていただきました。

私はクリスマスにはよく各店のラッピングの手伝いに行きました。丸井側も、クリスマスには社員がラッピングを手伝ってくださいました。
ある時は、丸井溝口店の店長が自らラッピングを手伝ってくださり、私と二人でおもちゃラッピングコーナーにいると、丸井の社員達がビックリしていました。

丸井店では「さくらトイス」の看板は出していましたが、基本丸井のおもちゃ売場でしたので、店に立つさくらトイスの社員は丸井のアメニティ講習を2日間受けないと、入店証をもらえませんでした。
丸井はファッション中心でしたので、洋服売り場が多く、うちの社員も裾上げのピンうちまで講習をうけました。後には丸井も服売り場以外の売り場は1日講習になりました。

袋やラッピングペーパー、リボン、テープなどは丸井の消耗品を使用するので、今までさくらトイスで使用していた消耗品とは大違い。高そうな袋にラッピングペーパーも厚く、リボンなどは比べ物にならない程高価な、素敵なリボンでした。
丸井で販売している洋服とうちのおもちゃでは、一品単価・客単価の違いに雲泥の差があるなとつくづく感じました。

これはまったくの余談ですが、昔の丸井の社員食堂はとっても美味しかったです。
夜8時まで営業している店舗では、夕方から夕食も食べられるので、昼・夜とも社食で済ませているさくらトイスの社員もいました。
一食350円でしたので、1日700円で昼・夜の2食べられるのはすごいなと思いました。
栄養のバランスも良く、なによりおいしいのでびっくりしました。
私もあちこちの店回りで社食をたべましたが、丸井の社食はとりわけ美味しくて、記憶に残っています。

丸井出店のきっかけなどは、過去の記事に書いていますので、よろしければこちらもご覧くださいね。


昭和27年から平成19年までの55年間、東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城の各地に34店舗を構えていたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長を務めた私が、おもちゃ屋の思い出話、懐かしいおもちゃのことをつづっていきます。毎月11日に公開予定ですので、続きをお楽しみに!

また「さくらトイス」のことを覚えている方、ぜひコメントをくださいね。

編集協力:小窓舎


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