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昭和50年頃その②所沢&市原のショッピングセンター・ポポロに出店

昭和50年ごろは、おもちゃ屋の娘として生まれ育った私が、本格的に父の経営するおもちゃ屋「さくらトイス」にかかわるようになった時期です。
と言っても、はじめはおもちゃ屋になるつもりはありませんでした。
私は芝居がやりたくて、大学は演劇科に通っていました。
両親は女優になるのを反対していて、「大学は演劇科に行ってもよいが、卒業したら家を継ぐ」という約束でした。
 
そんな事もあり、父は私が卒業したら芝居の道に入らぬように、私の仕事として、かわいいぬいぐるみやキャラクター文具・雑貨を取り入れたコーナーをおもちゃ屋の中に作り(八王子店)、さらに別の個店(田無店)も作りました。
 
今回は、そんな昭和50年ごろのお話です。
後に、トレーディングカードゲーム「マジック・ザ・ギャザリング」をいち早く販売した千葉・市原店がオープンしたのも、この頃だったんですよ。


昭和51年、サンリオ商品などを扱うファンシーショップ開店

昭和51(1976)年、ダイエー八王子店5階にあったさくらトイスの隣スペースを借りて、私あきこがファンシーショップ「トント」をオープン。
と言っても店長は私ではなく、さくらトイスに勤めていた女性社員に父が任せました。私は開店の商品選びを担当し、サンリオ商品をメインにインテリア雑貨、可愛い食器などをそろえました。そして週に何回かはお店に出勤しました。

この頃のサンリオ商品は、キティちゃんのキャラクターが出始めたころで木製の小さな小物(イス・机・タンス等)にキャラクターが印刷されていました。ハンカチや靴下などにもワンポイントでキティちゃんが付いていましたが、簡単に糊付けされていたらしく、「洗濯機で洗ったらキティちゃんがどこかへ行っちゃった」などとお客様から言われたこともあります。
サンリオキャラクターとしては男の子と女の子のキャラクター「パティ&ジミー」もありました。もう覚えている人は少ないかも!
イラストレーター水森亜土の絵の付いたカップやタオルもあったと思います。もちろん、いちご新聞も良く売れていました。いちごの王様、懐かしいです。
 
この八王子ダイエートント店は坪当たりの売り上げが良く、頑張ってくれた店長のお陰で、数年後ダイエー本社から表彰されるほどの店となりました。

昭和52年、所沢&市原のポポロに出店

昭和52(1977)年、所沢と市原のポポロショッピングセンターに出店しました。
実は、他にも何か所かの出店依頼があったそうです。父は東京の田無と千葉の市原に魅力を感じ、テナントとして入りたかったので、一緒に提案された所沢のポポロにも出店しました。
 
さくらトイスとしては、所沢と市原は玩具店で、田無はトント店(ファンシーショップ)として契約をしました。
 
所沢ポポロ店は、駅前のプロペ通りの中ほどにあったと記憶しています。木下楽器店2階にまだ所沢店があったので、所沢で2店目になります。(しかも同じプロぺ通りでした)ポポロ店は坪数が小さかったのですが、1階だったので父は出店に踏み切ったと思います。
 
実はポポロ田無店は、1階・2階に同時出店要請がありました。デベロッパー側は1階ファンシーショップ、2階玩具店をと父に依頼してきましたが父は2階のおもちゃ屋は売れないと判断して断り、2階は別の玩具店が出店しました。

市原店の思い出①「市原駅」ってどこ?

市原店はオープンして間もなく父と一緒に行ったのは覚えていますが、15年位たって、私がさくらトイス副社長になってからの思い出がいっぱいあります。
 
まず、副社長になって初めて一人で市原店に行ったときのことです。
その前までは父が運転する自動車で行っていました。電車では初めてだったので切符を買おうとし、総武線千葉の先の「市原」という駅名を一生懸命探しましたが、内房線にも外房線にもありません。

えー?と思いながら会社本部に電話をし「市原の駅が見当たらない」と伝えたら父が、駅名は「五井」だと教えてくれました。行く前に教えてくれればよかったのにと思いながら、電車に乗り外房線・五井の駅に着きました。
駅を出ると見知らぬ風景。ここからどう行ったらうちの店にたどりつけるの?事前にしっかり調べておかなかった自分の不注意を痛感しました。
道を歩いている人にポポロショッピングセンターはどこにありますか?と聞きながらやっとうちの店にたどり着きました。

市原店の思い出②花火で火事!

次の思い出は火事を出したことです。
夏になると、店でバラ売り花火を扱っていました。店内ではなく、ポポロショッピングセンター敷地内の屋外で販売していました。
アルバイトに花火販売を任せていましたが、お客様が花火の見本が見たいと言ったらしく、花火に火をつけて見せていたら陳列してあった花火に引火。花火なので凄い勢いで燃え出して騒ぎになり、消防車が出動してきました。

幸い燃えたのは陳列してあった花火だけで、他に被害がなくて良かったですが、消防署やデベロッパーから厳重注意を受けました。
その後市原店は花火のバラ売りは一切やめ、袋に入ったセット売りだけにしました。

市原店の思い出③「マジック・ザ・ギャザリング」をいち早く販売

特によく売れた商品の思い出もあります。
1994年初めごろだったと思いますが、市原店店長より「マジック・ザ・ギャザリング」カードを仕入れたいと相談がありました。
「マジック・ザ・ギャザリング」は、1993年に発売されたばかりの世界初のトレーディングカードゲームです。
「大学生の間でサークルを作るほど人気があり、まだ英語版しかないが、絶対売れると思う」と言ってきました。そこで取引先を探して販売を始めました。
店長の言う通り、新商品が発売されると大学生は箱買いをしてくれました。中には万単位買ってくれる大学生もいて、飛ぶように売れました。
その後96年にはマジック・ザ・ギャザリングカード日本語版も発売され、さくらトイス全店舗で販売するようになりました。その後市原店ではカードの買取も始めたので古物商許可証も取りました。

マジック・ザ・ギャザリングは、現在までさまざまなシリーズが販売されています

さくらトイスの方針として開店の品揃えは本部で行い、ヒット商品や入手しにくい商品は本部で行うが、その他の品揃えは店長が自分でできました。

父は、「自分で仕入れてそれが売れた時の喜びが店(商売人)の醍醐味だ。『自分で経営している』と思って仕入れろ」と、常々店長たちに言っていました。
市原店のマジック・ザ・ギャザリングは、その好例だったので、印象に残っています。


昭和27年から平成19年までの55年間、東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城の各地に34店舗を構えていたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長を務めた私が、おもちゃ屋の思い出話、懐かしいおもちゃのことをつづっていきます。毎月11日に公開予定ですので、続きをお楽しみに!

また、「さくらトイス」のことを覚えている方、ぜひコメントをくださいね。

編集協力:小窓舎

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