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トミカ、超合金、リカちゃんなど、ロングセラーが続々と登場!昭和40年ごろのおもちゃのお話

日本といえば、おもちゃの国。そんな時代があったことをご存じでしょうか?
かつて日本は、世界一のおもちゃ生産国でした。
第2次世界大戦前、日本の玩具輸出額は世界一になりましたが、その後の戦争・敗戦で衰退。しかし戦後、日本政府からの後押しもあり、ドンドンおもちゃ産業は伸びていきました。
1963年(昭和38年)には玩具輸出額431億円で、再び世界の首位になりました。生産額の約2/3が輸出商品でした。
敗戦後、アメリカにおもちゃを輸出し、その見返りとして食糧品を輸入できていたことなどは、こちらの記事に書いていますので、よろしければご覧くださいね。

この連載では、昭和27(1952)年から平成19(2007)年まで55年間続いたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長である私が、おもちゃ屋の歩みや懐かしいおもちゃのお話を書いています。
今回は、昭和41年から50年までのおもちゃにまつわるトピックスを書いていきます。
テレビ番組の人気キャラクターがおもちゃとなって、人気を博した時代。皆さんの記憶に残っているおもちゃもあるかもしれません。


昭和41(1966)年、ウルトラマン登場

TBSテレビで「ウルトラマン」の放映が始まり、第1次怪獣ブームが起こります。
また、このころの人気おもちゃと言えば、もこもこの泡で遊ぶ「クレイジーフォーム」や、アメリカのマテル社の「GIジョー」などでした。

昭和42(1967)年、リカちゃんは「ハウス」に合わせて発売

ウルトラマンに続く「ウルトラセブン」、アメリカの人形劇「サンダーバード」、着ぐるみ人形劇の「ケロヨン」などのマスコミ玩具が発売されます。

タカラから「リカちゃん」が発売されたのもこの年でした。実は、「リカちゃん」より「リカちゃんハウス」の方が発売は先でした。
タカラはビニール製玩具を作っていた会社で、リカちゃんの前はダッコちゃんが有名です。ビニール製の人形の家(ハウス)を作りましたが既に人気の人形「バービー」や「タミーちゃん」で遊ぶにはハウスが小さすぎて、売れませんでした。
そこでハウスにあった大きさの人形「リカちゃん」を作ったのです。

リカちゃん(左)とバービー(右)。大きさが全然違いますね!(等身も…)

昭和43(1968)年、人生ゲーム、ツイスター登場

この年の人気おもちゃは、家庭用バッティングマシン「ウルトラマシン」。女の私も家で遊んだ記憶があります。また、風呂やプールで泳ぐ「わんぱくフリッパー」。タカラの盤ゲーム「人生ゲーム」、トミーからハスブロ社の「ツイスター」が発売されました。

やなせたかしさんが「アンパンマン」を書き始めたのもこの年です。現在でもアンパンマンのおもちゃは作り続けられていますが、原作が誕生したのは50年以上前なのですね。

「アンパンマンのふわぷくキッチンDX」(ジョイパレット)は、「日本おもちゃ大賞2023 ベーシック・トイ部門」で優秀賞に選ばれました

昭和44(1969)年、ママレンジ、アッコちゃんのコンパクトが人気

アポロ11号の月面着陸成功がニュースに流れた年です。東名高速道路が開通し、日本もどんどん先進国の仲間入りです。
ガスレンジのおもちゃ、あさひ玩具の「ママレンジ」に加え、テレビで人気の「巨人の星」の商品や「ひみつのアッコちゃん」のコンパクトなど、マスコミ玩具が引き続き人気でした。

昭和45(1970)年、トミカが発売

大阪万博博覧会開催。私の家では前年開通した東名高速道路を使って車で大阪万博へ行ったのですが、万博会場は広くて人が多く、月の石など全く見れませんでした。人気のブースはパスして見て歩いた記憶があります。

おもちゃは「わたアメマシン」が4社競作で発売されました。トミーからは「トミカ」任天堂からエレクトロニクスゲーム「光線銃・SP」が発売されました。

トミカ30周年記念の年に、当時の箱まで再現した復刻版

昭和46(1971)年、仮面ライダー登場!

仮面ライダーが放送開始になり、「仮面ライダーカード」「仮面ライダーベルト」が発売されました。「帰ってきたウルトラマン」も放送されて第2次怪獣ブームが起こりました。
また、テレビでプロボウリングの中継が始まりエポック社「パーフェクトボーリング」が子どもたちにも人気がありました。
そしてどこのおもちゃ屋も品切れした「アメリカンクラッカー」が大流行。メーカーの生産が追い付かず、父をはじめ家族・社員総出で袋詰めしたこともありました。こちらの記事に書いています。


昭和47(1972)年、パンダが大人気に

初めて日本にジャイアントパンダ「ランラン」と「カンカン」がやってきてパンダブームが起こりました。ぬいぐるみも大人気でした。
また、沖縄返還協定調印も行われ、札幌冬季オリンピックも開催されました。

日本玩具協会は、日本玩具安全基準「STマーク」をスタートさせました。今販売されているほとんどのおもちゃにはこの「ST」マークが付いています。

エポック社「パーフェクション」もこの年の発売です。時間内にパーツをはめるパズルゲームとして大流行。はらはらどきどきしながら遊んだ方も多いのではないでしょうか。

昭和48(1973)年、オセロ発売

1ドル360円だった固定相場から、この年の2月14日に為替レートが変動相場制に変わりました。国の力がついてきたのは良かったのですが、輸出の多かった玩具産業は輸出異存体質からの脱却を図ります。
オイルショックも加わり空前の原材料不足となったようですが「ジャンボマシンダー マジンガーZ」が発売されました。
また、長谷川五郎氏考案の盤ゲーム「オセロ」もツクダより発売されました。

昭和49(1974)年、超合金シリーズ、ミクロマンが発売

バンダイの子会社であるポピーより「超合金 マジンガーZ」が発売されました。ポピーは71年にバンダイの「雑玩」を作る会社として発足。当時はキャラクター玩具やマスコミ玩具は教育上良くないと親に嫌厭されていたため、バンダイはポピーにキャラクター・マスコミ玩具の製造を任せていたようです。

「超合金」とは、ダイキャスト技術を駆使して作られたマジンガーZに付けられた名前で、始めの商品パッケージには「ダイキャスト マジンガーZ」のダイキャスト上に超合金と印刷されたシールが貼って売り出されていました。この超合金のネームが大ヒットとなったことは、皆さんもご存じのとおりです。今でもさまざまな「超合金」の商品が販売され、大人向けの「超合金魂」シリーズなども人気を博しています。

おもちゃショー2023には超合金(BANDAI SPIRITS)とZOIDS(タカラトミー)のコラボ商品も登場

また同年、タカラより可動型フィギュアの原型ともいえる「ミクロマン」が発売されました。

来年50周年を迎えるセキグチの「モンチッチ」、世界中で人気のあるサンリオの「ハローキティ」もこの年に誕生しています。

昭和50(1975)年、黒ひげ危機一髪が発売

1953年にテレビの一般放送が始まってから20年以上たったこの頃は、空前のテレビ宣伝競争が始まり、おもちゃ業界でも、テレビ宣伝をかけた商品は必ずヒット商品となりました。
国産初のテレビゲーム「テレビテニス」がエポック社から発売されました。テレビにつなげるのではなく、コントローラーがUHFの電波を発信し、テレビ側が受信するというワイアレスで画期的な商品でした。
アクションゲーム「黒ひげ危機一髪」はトミーから、不思議な動きの「モーラ」は増田屋コーポレーションから発売され、大ヒットしました。


こうして振り返ってみると、現在まで続くロングセラー商品や、人気キャラクターが続々と世に出た時代でしたね。
第二次ベビーブームで子どもの数が多かったこともあり、日本のおもちゃ産業はここから10年ほど、世界首位を誇っていました。


昭和27(1952)年から55年間続いたおもちゃ屋「さくらトイス」の思い出話を毎月更新しています。こちらもぜひご覧くださいね。

編集協力:小窓舎

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