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昭和50年頃その①元ボウリング場のショッピングセンターにテナント出店

1970年代には、今も販売されているロングセラーのおもちゃが続々と発売されました。
例えば、73年に盤ゲーム「オセロ」、74年には「モンチッチ」75年には「黒ひげ危機一発」などです。
また、「超合金のマジンガーZ」が流行ったのもこの頃でした。

2枚とも「輝ける玩具組合とおもちゃ業界の130年」(東京玩具人形協同組合 刊)より

その頃、私の父が経営していたおもちゃ屋「さくらトイス」は、引き続きスーパーやショッピングセンターなどのテナント出店が続いていました。
今回も1970年代の思い出話です。


昭和48年、千葉県初となる京成大久保に出店

 昭和48(1973)年、千葉に初出店となる、京成大久保マルエツ店オープン。
スーパーマルエツから、「食品売り場の他におもちゃ売場が欲しい」と出店の依頼がありました。
京成大久保店以降、
昭和51(1976)年に千葉鎌ケ谷店と千葉袖ヶ浦店、
昭和52(1977))年に新松戸店と、マルエツ内のおもちゃ売り場4店舗の出店が続きます。

私は小さい時から日曜日には父と車で店回りをしていました。
千葉の店のどこかは忘れましたが、普通の店と売場の作りが違うので
「ここ面白い作りね」と言ったら、
父が「ここは元ボウリング場なんだよ」と言いました。納得です。
売場に数段の階段があり、レーンだった場所と、後ろのボールが置いてある場所がそのまま使われていました。
この頃は1960年代に流行ったボウリング場がすたれて、その跡地をショッピングセンターにしたところが多かったのです。

昭和50年、熊谷東洋プラザに出店

昭和50(1975)年、埼玉県熊谷東洋プラザ内に出店。所沢と同じ埼玉県ですが、熊谷は横田からは遠かったです。一度行ったことはありますが、あまりよく覚えていません。
うちの店の中では、父の判断で数年で閉めてしまったと記憶しています。
後に私がさくらトイスの副社長になってから、また熊谷の別物件から出店依頼があり、見に行ったことがあります。東洋プラザの建物が残っていて、懐かしく思いました。

昭和51年、羽村店の目印は、大きなトーテムポール

1976(昭和51)年、東京都羽村市(福生市の隣の市)羽村多摩ショッピングセンター内に出店。
1971年にドル円が変動相場制になり、その頃にはアメリカ人が基地の外で買い物をしなくなっていました。そのため横田基地の目の前にあった横田本店は閉めてしまい、事務所として使用していました。

父はやはり横田(福生)店から会社が大きくなっていったので、地元近くに店舗を作りたいと思っていたようです。羽村にショッピングセンターができると聞き、出店を決めました。

おもちゃ売場がどこだかわかるように、店内に何か目立つ物を置きたいと考えた父は、どこからか背の高いトーテムポールを買ってきました。フロアのどこからも見えるトーテムポールは、おもちゃ売場のシンボルとなりました。
このトーテムポールは、後に羽村店を閉めてからもずっと横田事務所にありました。(高さは、事務所の天井に合わせて切られてしまいましたが)
 
この羽村店、オープンの時は手伝いに行き、とっても賑わっていたのを覚えています。おもちゃのオークションセールを行い、お客様とのやりとりで楽しく売場が盛り上がっていました。
大学の先輩がメーカーのイベントガールとして来ていて、お互いビックリしたのも、思い出の一つです。

なお、横田基地の目の前にあったお店については、こちらの記事もご覧くださいね。


昭和27年から平成19年までの55年間、東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城の各地に34店舗を構えていたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長を務めた私が、おもちゃ屋の思い出話、懐かしいおもちゃのことをつづっていきます。毎月11日に公開予定ですので、続きをお楽しみに!

また、「さくらトイス」のことを覚えている方、ぜひコメントをくださいね。

編集協力:小窓舎

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