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紫陽花の季節、君はいない 88

「気をつけて行ってきて下さいね、夏越殿!」
「くれぐれも、失礼のないようにな。
人間にもそれ以外にも。」
御葉様と涼見姐さんに見送られる形で、俺は八幡宮を後にした。

鳥居の外に出ると、急激に蒸し暑くなった。
厚めの雲の切れ目から、光が射し込んでいる。

俺は一旦自宅に戻り、夏越の祓で拝受したリース型の茅の輪守を玄関の壁に吊るした。
まるで彼女を探し出す決意表明のようだと思った。

行動を始めるなら、今日ほど良い日はないと思った。
職場には既に明日から3日間有給休暇を申請してある。

あらかじめまとめておいた旅行鞄を持って、俺は玄関を出た。

隣の部屋の玄関のチャイムを鳴らした。
トタトタと軽い足音が近付いてきて、玄関を開けてくれた。

「なごしクン!こんにちはっ!」
ひなたが俺の脚に抱き付いてきた。
「こんにちは、ひなた。」
俺はひなたの頭を優しく撫でた。
ひなたはニコニコしている。

「おう、夏越。旅行、今日からか!」
柊司も玄関にやって来た。
「ああ。留守中何かあったら連絡くれ。」
事情を知らない柊司達には、観光旅行と行ってある。
ひなただけは紫陽のことを知っているが、口止めしてある。

「あおい~、夏越これから出発するってさ!」
柊司に呼び出されて、あおいさんも玄関に来た。
「夏越くん、旅行楽しんできてね。」
「うん、何かお土産買ってくるから。」

こんな風に見送ってくれる存在がいるなんて、俺は幸せだ。
実家を誰にも見送られることなく出た時には、こんな日が来るなんて思っていなかった。

「なごしクン、かえってきたら、いーっぱいおはなし、きかせてね!」
ひなたが柊司譲りの大きな目を輝かせている。
「うん、わかった。」
ひなたは俺の脚から離れ、今度は柊司の脚にしがみついた。

「行ってきます。」
俺はアパートを後にした。3人は姿が見えなくなるまで手を振っていた。

帰ってきたら、ただいまが言える存在。
いつか紫陽にも彼らを会わせたい。

紫陽花の季節、君はいない。
だけど、また君と紫陽花の森で笑い合える日が来るって信じてる。


【完】


その後の夏越です。
(本編「紫陽花の季節」27~31話)


夏越が旅に出ている間のひなたのモノローグです。(「夢見るそれいゆ」2~3話)


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