書評「怪物ベンサム 快楽主義者の予言した社会」土屋恵一郎著

ベンサムとは失敗した人間である。この著作はベンサムの人物伝であり、19世紀のイングランドの知識人社会の物語である。ベンサムは功利主義哲学の祖の一人として現在では知られているが、彼は法律家を志していた。つまりがイングランド特有のコモン・ローという法の網の目、法解釈の歴史の積み重ねの上にある複雑なる体系を、「完全なる法典」により整理すること。これが彼の生涯の一番大いなる野望であった。「イギリス法注解」、これは彼の仮想敵たる、ウィリアム・ブラッドストーンが著した著作である。その著作で、彼はコモン・ローの複雑さを「ゴシックの城」と評し、複雑性を、そのまま擁護した。その彼の姿勢が、イングランド法律界の主流となり、ついぞベンサムの機能主義、簡明さへの意志は理解されることはなかった。つまりは彼は挫折した人間であり、生前の彼は理解されることが少なかった。彼は、人間の幸福の計算可能性と、その社会的最大化をもってして合理的行政を成すことをアイデアとして提示した。彼は生前公刊されなかったものの、同性愛を擁護した。道徳を言う前に、合意ある、理性ある成人同士の快が最大化されるなら、なんの障害があろうか、という考え方になる。そして彼は、犯罪の事前抑止といった、フーコーの生権力(方向性が逆だが)につながる構想を持っていた。要は彼は、リベラリズムの基本アイデアを、19世紀に構想していた、時代を超えた人物ということになる。

これは、生前は理解されることの少ない彼のレクイエムのような著作である。

スピリチュアルに目覚めた妖怪。