見出し画像

狂気日記 〜inインドver4〜

これは日本を出発して幾分かの出来事を簡単に綴った日記みたいなものです。
パート4、プネー(教育と瞑想)→レー(うんこ漏らす)編
wifiの都合で写真が一枚しか貼れなかったので気が向いたら追加します…


3/13

深夜にプネー在住の友人宅に着いてからはとにかく平和。
インドが好きになるシーンが多い。

次の日から早速出掛けた。
朝にはポフェというカレーチャーハンみたいな何かを食べ、スクーターの後ろに乗せてもらいプネで起業している日本人に会い行く。その後はデパートや喫茶店へ。

道路は忙しく、空気は汚いが室内は日本とほぼ変わらないことに驚いた。
シリナガル体験した(恐らく中間層に近い)貧困層の生活とプネでの中間層での生活を経験し、貧富差は日本より激しいものの中間層の生活は近づいてきている。しかも、インドではカレッジまで教育を終えている人の数が圧倒的に増えてきているし、教育(特に理系)のレベルも高い上に英語をほとんどの人ができる。文化形成に多大な影響を与える中間層のレベルがそもそも高くなっている。
国内だけでの銭稼ぎだけでなく、国外での稼ぎができないと対海外比での日本の成長余地がない。なお、IT技術レベルは上がってきている国があるし、製造業はそれぞれの国に安価でリプレイスされつつある。第一次産業は対海外に対しては特異性のある強さを知らない。
(日本に戻ったらデータ引っ張り出してしっかり調べます。)
なるほど、これは確かに、日本が今後苦しむと言われている理由が身をもってなんとなくわかってきた。
こんなことをここで言っててもしょうがないが…

その後は友人の友達の留学生(ガンビア人を始めとした複数人の優秀な方々)の家へ遊びに行った。
そこでは御当地料理を振舞ってもらいながらプネー大学での教育、僕が大学を辞めたことに対して、大学の存在意義、彼らやインド人が今後何をしたいかなど英語だったため7割くらいしか理解できなかったがとても興味深い時間だった。
簡単に言うと
「自国と日本では紙幣価値が違いすぎるから日本で働いて家族を裕福にする、その後自国で起業して生活インフラを整えたい」
と言う夢とか。
「世界では修了教育のレベルが基準になっている中で君はなぜ辞めたんだ。しかも日本というとてもいい国にいるのに」
とかという問い詰めとか。。。
ちなみに僕は
「大学はあまりにもつまらない。みんな揃って遊んでばっかだ。これ以上時間を無駄にしたくなかった。(いい大学に入れなかった自分が悪いが)」
とだけ答えると首を傾げていた(僕の英語のレベルが低いのか大学に対する意識の差からの行為だろう)。

夜の帰宅途中大学により中身を見せてもらっていると日本大好きインド人に話しかけられ自宅に招待してもらった。ここで先程まで思い悩んでいた日本の凄さも知る。出身が日本というだけでの笑顔になる人がいるのだ。よくわからないが凄い事実である。

3/14

昼過ぎまで友人宅でゆっくりしていた。
午後に出かけるかという話になり、シンハガット・フォートという城跡に向かった。途中ダムがあったので暑かったこともあり友人と水浴びをした。インドでは絶対に水に入らないという決心はいつしか忘れていた。インドの寛大さに心をうばわれたのかもしれない。

その後は城跡に行くためにひたすらに山を登った。すんなり着くもんだと思っていたがめっちゃ登った。2時間ほどをビーサンで。
特に何をしたわけでもなかったがめっちゃ楽しかった!


帰りには小さい遊園地?に行き観覧車?に乗った。
これがまた面白い!
人力だし、壊れそうだしめっちゃ早い笑
いろんな意味でとても素敵な絶叫系アトラクションでずっとゲラゲラ笑っていた。
(死ぬかと思った)


3/15

プネーにはOSHOという瞑想施設があるということを聞く。
今インド旅の目的は瞑想修行だったが、インド人に騙されてその予定がなくなった。「普段の生活が瞑想みたいなもんだし、もういいか〜」なんて思っていたが、何かの縁だと思い行ってみることにした。ググると本当に大丈夫か?と思える情報もあった。
施設内の料金設定はインドにしてはかなり高い。だが、国外の人たちで賑わっていた。
修行内容の詳細は口外禁止になっているので書けないが、レクチャーからすでに凄かった。怖さも感じた。
だが、いろんな場所でいろんな手法の瞑想が行われているので自分の好きなところに行き満足して帰った。
(座ってじっとしている瞑想以外にもたくさんの種類がある。15種弱はあったかな。)
本当はこの晩からエローラという世界遺産の遺跡にいこうとしていたが、明日のヨガのコースもやりたいし、瞑想もしっかり入り込める時間を作りたかったので明日も行くことにした。


3/16

朝6時に起床し会場へ。
ヨガから始まり、心配機関と呼吸法を整えてから丸一日瞑想。
施設内で瞑想歴39年の日本人のおっちゃんと遭遇し、この施設についてや瞑想について教えてもらった。

よく瞑想状態と薬で達する状態が似ているということを聞く。僕は薬をやったことがないのでわからないが実際そうらしい。よく海外有名アーティストも達した状態になったがためにヒット曲を出せたりするとすら聞くほど。
よくこの施設にも長期間修行しに来て、修行を終えるとヒンディーネームをもらいヒット曲を出した人がいるらしい(本当かわからんが)。
母数の問題や因果関係がはっきりしないので言及できないがきっとそういうこともあるのだろう。それがマインドフルネス。
ピエール瀧さんは薬だったが。。。

ちなみに僕はこれを信じてるから瞑想してるとかではなく、なんとかなく思考がすっきりするのに加え、観察という行為を通して自己を冷静に客観視できるからだ。

結局23時くらいまで瞑想して、そのあと大嫌いなリクシャー(初日に殴られた思い出があるため)に乗って友人宅に帰った。

3/17

午前中友人に別れを告げ、ムンバイ行きのバスに乗り15時頃ムンバイに到着。
そこから世界遺産であるCST駅行きの快速鉄道券をまさかの8円(しかも10kmぐらい)で買えたが、どのプラットフォームで何時に乗ればいいのかわからなかった。近くのインド人に聞くと「俺と一緒だ。ここに20分後」と教えてくれた。
その後、電車が来るとそのインド人の「カモン!」という言葉に着いて行くと席を確保してくれた。隣に座り少し話をする。「出身は?」「日本の電車はこんな感じなのか?」「日本は暑いのか?」とか。降りる時には仲良くなっていた。
世界遺産の駅を観て、これからインド門に行くと言うと「俺も行ってやるよ」と言って着いて来てくれた。全くわからないバスに一緒に乗りインド門に着く。一緒に写真を撮ったり、ぐるぐる回ったり。

門の裏には船乗り場があって一緒に遊覧船に乗ることになった。しかも、奢ってもらってしまった。
遊覧船は汚い海の上だったので感動は少なかったが蒸し暑いムンバイの日中にはとても心地よかった。遊覧船から見えるものありとあらゆるものを紹介してくれた。
その後はまたバスに乗りサンセットの見える海沿いに連れて行ってくれた。
「ここは夕日は綺麗だし、夜はデートスポットになるんだ!うふふ」
含み笑いが少し怖かったがここで夕日を観てぼーっとしながら今までのインド旅やお互いの普段の生活について話していた。デリやシリナガルでの出来事は流石に引いていた笑

夜になると海岸沿いに見える灯が綺麗だった。しばらくすると出発し、CST駅に戻りご飯を食べる。ここでも奢られてしまう…
食後のラッシーはすかさずお金を出し2人分払った。すると、しかめっ面をしながら笑いかけてくれた。

この辺りでそろそろ時間だということになり、解散。最後にムンバイ空港行きのタクシーを安めに取ってくれた。
素敵なおじさんでした!ナマステナマステ!!!
彼に出会えたおかげでムンバイが好きになれた。

その後空港に着き全準備を終えぼーっとしていた。

3/18

午前1時の飛行機でムンバイからデリーに行き、午前7時の飛行機でレーに到着した。
レーが陸の孤島と言われている理由、それはたまらなく白くどこまでも高い4,000~5,000m級の山々に囲まれているからだ。

レーに着くと今までのインドとまるっきり雰囲気が違う。
インド人って感じよりチベット系の人達、外は雪が残っておりかなり寒い。
空港ですぐタクシーに乗り宿に向かった。
宿は一泊450円程の激安。どんなもんだろうと思って入ってみるとシリナガルのクソホームステイよりはるかに快適だった。
説明を聞き終えた辺りから高山病の症状が出始めたらので横になっていると寝てしまっていた。
3時間ほど寝た辺りで顔にくすぐったさを感じて起きる。猫が目の前にいた。かなりびっくりしたが思わずにやけてしまった笑


その後、おならしようとしたら液体状のうんこがでてしまいパンツが死亡した。紙を一切持ってなかったのでインド式水と素手でお尻を拭き、なんとか気持ちを持ち上げ、2km先のバザールへ向かった。
ちなみにこの時パンツが一枚もないのでノーパンである。(これを書いてる今も)

道中何度も息切れする。身体中が痺れまともに動かない。かなりきつかった。
休み休みなんとか到着し、欲していた水、ドライフルーツ、トイレットペーパーを手に入れた。

18時ごろ、なんとか宿に戻り、部屋に入ろうとしたら猫ちゃんも入ってきたので入れておいた。
気がついたら晩飯の20時まで寝ていた。
起きようとするとお腹が重くなんだろうと思うと猫が布団の中で寝ていた。
ゆっくりと布団から出てご飯を食べに行く。やっとスパイスから逃れられる食事ができた。感動と同時にこの安宿に数日間宿泊することを決めた。

ぼちぼちやっていきます...!