初めてのハイ

高校の卒業式だった3月1日が過ぎていった。いつの間にか今年も。

私立の中高一貫で一応第1希望として自分の意思で入学したところだった。それにも関わらず、全方位に本気を出す生真面目な雰囲気が合わず鬱々と惰性で6年間を過ごしていた。勉学は勝手に底辺を這いつくばっていれば良いけれど、スポーツ大会や合唱大会やスピーチコンテスト、創作ダンス、地域清掃でも「適当」がなんとなく許されない雰囲気が、とにかく息苦しかったのである。なぜか体育祭だけは適当でも良かったが、それ以外を適当にやったときの村八分感と言ったら。

なので卒業式のことを思い出そうとしても清々した気持ちぐらいしか記憶に残っていない。

否、学校はそこまで好きではなかったけれど、高3の秋冬に初めて分かりやすく躁がはじけたのだ。勉強も人間関係もいきなり軌道に乗った。限定的な科目だけだが集中力の発揮で成績が急に上がった。200人中5位とか。そしてそれによって肩の力が抜けたのかクラスメイトや塾の仲間とうまく付き合えるようになった。大学受験を控えていたので余計なイベントがないのも私にとって良かったのだろう。そのまま運も手伝い、ダメ元で願書を出していた大学に合格した。

当時は自覚していない躁によって風穴が開き閉鎖的に過ごしていた5年半から世界が広がったのだけれど、あの5年半は何だったのだろうと今だにぼんやり考える。

「高校受験もないので入学したら4年ぐらいは自由を謳歌しよう」とばかり夢見て受験勉強に打ち込んだ小学校最後の2年。ところが滑り込みで入ってみると、一学期の中間どころか最初の小テストから本気全開の雰囲気にげんなりした。数学の一学期の中間試験は学年での平均点が96点ぐらいだった。おかしい。

自分は勉強に価値を置いていなかったくせに勉強に重きを置いている人たちが集まる学校に入ってしまったので大失敗だったのである。

「6年間一緒に過ごす同級生は、人生最高の友人となります」

という先生のいいお話も捻くれた私には逆に呪いになってしまった。

「ここではたくさん友達を作れそうにないのに、これが人生最高の友達づくりの環境と言われてしまったならこの先一生どうすればいいのだろう」

と真剣に悩んでいた。今となれば自分に合った雰囲気の大学(有能だが適当な人が多かった)や職場の方がもっと簡単に友人が作れたし、中高の同級生でも大人になってからの方がお互い角がとれて良い付き合いができているのでただの取り越し苦労だったのだけれど。とにかくこんな風に暗く暗く中二病をこじらせていたのだ。

だってね、本当に中2のときに

「魔王でてこないかなー。世界、征服されればいいのに」

って冗談半分だけれど実際口にしていたぐらいなので。

内部進学者が行くところよりも高い偏差値の大学に合格した時、特定の誰にというわけではないけれどざまあみろ、と思った。今思えば腐っていた5年半に対して「勝ったぞ」と思ったのかもしれない。

とにかく雰囲気に負けて捻くれていて、自分で勝手に呪縛を作って過ごしていた6年間だった。もう少し有意義に過ごした方が良かったかもしれないが、

「本気出さない時もしばしばある人生」

というモットーに行きついた経緯でもあるので、合わない環境に6年間もいたことも自分らしい無駄な経験と言える。無駄だけど、無駄じゃなかった。

#エッセイ #高校時代 #中高一貫校
#双極性II型 #躁うつ #躁 #中二病 #厨二病

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寺村 咲来

双極性II型・PMDD

双極性II型(軽度の躁うつ)とPMDD(月経前気分不快障害)と共に過ごす日誌
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