見えなきゃなんでもいいは、危険です

「どーせ服着たら見えないし」「誰に見せるわけでもないし」「私の下着なんて誰も興味ないし」日常的によく耳にする言葉です。おそらく何気なく発してる言葉でしょう。どんな印象でしょうか。なんだかせっかくこの世に誕生させてもらったのにとてももったいないですね。自分の子供が言ったら、悲しくなっちゃいますね。
下着って、たしかに誰にでも見せて歩くわけではないです。だからといってなんでもいいのでしょうか?誰もみてないところに、手入れや気遣いをしないのって、日本人ぽくなくて不思議だなぁと、その言葉が聞こえてくる度、いつも思うのです。
誰も見ていなくても、トイレ掃除はする、神社で手を合わせる、ゴミがあったら拾う、なんてことは日常しているにもかかわらず。それなのに、自分の事は後回しという(日本特有の)美学に流されてなのか、はたまたイヤラシイ、ハシタナイという呪縛なのか。

なんとなく他人から見えてないであろう部分に手を抜いてはいませんか?
誰も見ていなくても、トイレ掃除をすると美人になるとか、可愛い子供が生まれるとか、まぁ小学生の頃から迷信のようにこんこんと刷り込まれてきました(うちだけ?)が、私はそれってあながち嘘ではないな、と思うのです。それはきっと、今日もトイレを綺麗にした!という自信、いつも綺麗なトイレを使っているのだ!という誇りが、その人の表情を作り言葉を編み、魂を輝かせるのではないかと思うのです。
見える部分の、わかりやすい価値は、経年劣化もするし、人によって左右されるし、流行にも振り回されます。そんなところに一喜一憂したり、不安になるのは時間がもったいないですね。
自分で自分を大切に扱って、さっさとご機嫌をとって、なんとなく「大丈夫:)」くらいの気分をキープさせてあげましょう。きっと表情や使う言葉も変わってくるでしょう。付き合う人も変われば、運気も変わるでしょう。
下着をうまく使うことで、今日の気分から今年の運気まで意外と簡単に変えられるかもしれませんね:)

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