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虎に翼 番外編3(重遠の孫)

YAMADAさんの記事にかさねて投稿します。

YAMADAさん記事、出だし

「穂積重遠博士の帝人事件弁論

YAMADA,Asato
2024年5月2日 14:20
NHK朝ドラ「虎に翼」で、主人公猪爪寅子の父直言が連座した大疑獄事件「共亜事件」。直言の弁護を引き受ける弁護士がなかなか見つからない中、寅子の恩師穂高先生が自分が弁護人になろうと名乗りをあげてくださったことに感激した方も多数いらっしゃることと思います。

穂高先生のモデルである穂積重遠博士も、民法がご専門でありながら、共亜事件のモデルである(と思われる)帝人事件で、これに連なって起訴された友人、大蔵省大久保偵次銀行局長の特別弁護人を、帝大同期卒業生101名を代表して務められました。」

(ここより岩佐)

帝人事件被告 大久保偵次(大蔵省銀行局長-收賄容疑)は東京帝大法科の、穂積重遠の同窓だった。重遠は、同窓生101名に推されて大久保の特別弁護を出願し、許可される。昭和12年8月20日の弁論記録より。

重遠は、特別弁護人に推されて立つ経緯説明の後、

「僕の弁護(で)無罪(が出)ても、実は収賄したのならば、友人としての穂積は立つかも知れぬが、法律学者、大学教授としての穂積(は)立たぬ」と、立場を述べ、

「友人としては熱情を以って、法律学者としては冷静に」と方針を述べている。

以下、弁論。
大久保の人となりを、
【くさす】かの様に・・・

「小心翼々、融通の利かぬ男‥」
と語り始め、
それと共に、検事の云う「物的証拠乏しき事件」弁護人側では「物的証拠無き事件」では、【人物論】が「情状酌量の資料」を超えて「重要なる判断資料たり得る」と、釘を刺している。

縷々、大久保の小心ぶり、狭量さをあげつらった挙句、そんな男に収賄が出来るだろうか?「やる、やらぬ」の前、「出来る、出来ない」のレベルで、不可能ではないか?と切り返す。

そして、否認と自白の繰り返しについて、
先ずは「木内前京都府知事々件」を持ち出し、続いて法学者として

「自白即ち被告人自身の自己に不利益なる供述が断罪上に於て如何なる価値ありや‥

刑事学者グロースは『自白は証拠の手段にして、証拠にはあらず』と言つて居ります。‥

『言はせられた』自白は‥恐らく意思を欠くによる無効、少くとも強迫による意思表示なるが故に取消し得べきもの‥
(と、自白無効の諸学説を並べる)

此辺で申上げるのが丁度好いと思ひますが、検事の御議論を伺つて居りますと、我々民事法学者とは挙証責任の原則が御違ひになるのではないか‥主張する者に挙証責任があるといふのは、民事法の定石‥刑事法には(被告が無罪を証明しなければならない⁇と言う)別の原則が‥⁇」
と畳み掛ける。

更にそこから始まるのが、YAMADAさんの記事の、林頼三郎、平沼騏一郎の引用。
『金科玉条』はどこへ行った⁇と
続く。
時に林頼三郎=検事総長、
平沼騏一郎(黒幕?)=枢密院議長•昭和14年総理大臣

そして英国事情
「英国の法廷の空気が如何にも和やか‥一つ奇異に‥一向本人尋問をせぬ‥被告人の言ふことは善悪共に一向御取上げにならぬ‥重きを置かない(自白を信用しない)‥理想的でありませうが‥無罪の判決が多い‥そこで私は或る日‥裁判長に質問して見た‥御国のやり方では吾々外国人‥に有罪と思はれるものが‥無罪になる‥宜しいものでせうかと‥無遠慮な質問を‥其時の裁判長の答を私は二十年後の今日まで忘れませぬ。‥『十人の犯罪者を走らしめよ、一人の無辜を苦しむるなかれ。(10人罪人を見逃しても、1人の無罪の人を苦しめてはならない)』
これが英国司法の鉄則である」


翻って日本事情
「曾て帝人事件が議会の問題になつたときに小原司法大臣‥が、検事が起訴した事件が予審免訴になるものが如何に少いかといふことを、統計を示して誇らしげに説明された(効率優先、有罪率信奉、冤罪があろうと処罰優先)‥一旦検事に睨まれたら百年目‥国民も堪りませぬ‥もし起訴した事件が予審免訴になつたり無罪になつたりすると其検事の考課状に黒星が付く(成果主義)‥ならば、それは如何‥今村弁護人は「人生の不幸冤罪より大なるは莫し」と言はれ‥
私は両検事の五日間に亘る御論告を謹聴致し‥寧ろ赤門内の住人として‥失礼ながら学問的でない‥法律学的といふ意味より‥自然科学的(に)検事の御議論は非科学的であると申したい‥」

「学友等と共に大審院の民事判例を研究致して居りますが、判決理由の文章中に「多言を須(もち)ひずして明かなり」とか「炳乎(へいこ)として火を見るが如し」などと書いてある所にぶつかりますと、思わず唾を以て眉を濡らすのであります。左様な断乎たる言葉を用ひてある判決が時としては最も理由薄弱なものであることを、多年の実験で承知致して居るからであります(大袈裟な断定はウソの事が多い)

「私も兼ねがね裁判は判事、検事、弁護士三位一体の共同事業であると‥勝ったの負けたのといふのは寧ろ民事訴訟の話‥刑事訴訟には勝つたも負けたもない‥被告人が無罪‥とて検事が負けた‥ではない‥真実が発見せられたるのみ‥それには検事も与つて力があつた‥幸にして本件の被告人等が青天白日を仰ぐことを得ましたならば‥検事諸公も虚心坦懐 弁護人等と其喜びを同じくして戴きたいものであります(無罪なら、検事も喜んだらいいじゃないか)

と、【花道】まで用意して弁論を終わる。

【性格悪い⁇】穂積重遠 渾身の、重層的に計算された『重遠節』ではある。

『重遠節』の源淵はどこにあるか?多分、父穂積陳重の「理屈癖」と、母(渋沢)歌子の「文才」そして、落語、歌舞伎から西洋演劇に至る迄の、芸能好き、によっている。
本人の語り、他者による評伝多々あるので、参照されたい。
           光

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