【決定版】馬鹿にもできるサブカル批評の書き方入門

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はじめに

最近にわかにサブカル批評が若者の間でアツいという話を耳にします。なんでも文学フリマというイベントで批評の同人誌を出す大学生が増えているとか。

なんとなく批評と聞くと、せっかくみんなが楽しんでいるところに小言を言いにくる嫌なヤツというイメージもありますが、そのイメージはかなり払拭され、むしろカッコいい存在という認知をされつつあります。

TwitterやYouTubeではサブカルの解説が日夜バズっていますし、また推し活ブームのおかげもあってか、オタクに解像度の高い言語化が求められるようになりました。その風潮の中、より高度な言語化能力を必須とする批評の価値が認められ始めたことは、想像に難くないです。

だからこそオタクがサブカル批評を気になり始めています。しかし、残念なことに、批評の文章を書きたいと思っても、なんとなくハードルが高そうで手が出しにくいのもまた事実です。

実際に私も、批評の書き方を教えてくれという声をいただく機会が増えてきました。そこで本記事では、初心者でも書ける批評の入門を、「馬鹿にもできる批評の書き方入門」と銘打ち、一から解説します。今回は特に、どのような内容で批評を書けばいいのかに焦点を当てていきます。

STEP①
既存の理論に当てはめよう!

まずは分析に使えそうな理論を探して、それを作品に当てはめてみましょう。例えば「ヒットの三大原則」みたいな自己啓発書っぽい理論でもいいですし、哲学者の思想に当てはめてもいいです。

一見使えそうな理論を探すのが難しそうに思えますが、先行研究になりそうな文章を読んでいると、意外とすぐに見つかります。そして見つかった理論を先行研究からサンプルを変えて応用するようなイメージですね。これは何も恥ずかしいことではなく、むしろ先行研究を踏まえた「学問的な」手法です。

このやり方は、まずは既存の理論があって、次に現実の事象があるという考え方に立脚しています。まずは結論ありきで、そこに具体例を当てはめ検証するという演繹的な考え方です。

これの良いところは自分で仮説を立てる手間が省けるということです。自分で新しい説を作ることは難しいですからね。使えそうなモデルを探して、それにうまく当てはまるような側面を抽出すればよいだけですので、初心者でも簡単に批評の文章を書くことができるのです。

簡単というのは少し語弊のある言い方ですが、要は書きやすいということです。つまり、書きやすいし先行研究も踏まえていてロジカルであるという、お得な批評の書き方なのです。

STEP②
結果と結果を結びつけて因果関係を作ろう!

上記のように既存の理論に作品を当てはめるときには、理論に当てはまるように作品を読解する必要があります。そこで、当てはめる際におすすめなのが、作品を線として見るのではなく、点と点を大胆に結びつけるやり方です。

これはどういうことかというと、作り手の意図や具体的なシーンの積み重ねを丁寧に紐解くのではなくて、理論に合うように自分の手で作品をぶつ切りにしていくのです。そしてぶつ切りにしたものに因果関係を見出して、作品を好みの形に鋳造しましょう。

作品というのは多層的で時に複雑で矛盾した部分を抱えるわけですが、その中から理論に合う側面を切り出して、思い描くように結びつけちゃいましょう。複雑なことを切り出して一本の筋道をつけてあげるのが批評ですからね。

実は批評理論だと、作者の意図というのはぶっちゃけどうでもよくて、受け手は好きなように解釈してよいという考え方が主流です。本人がそう思っていなくても作者の無意識が作品に反映されてることもありますし、的外れなことを言ってたらどうしようなんて気負う必要はないのです。

一見関係がなさそうなことも、自由に因果関係を結ぶことができます。その際にその2つが関係あるのかを論証するに越したことはないですが、そこは匙加減です。しかし、その結びつきを疑うことは元にしている論理を疑うことにもなりかねないので、あえて無視するのも作戦のひとつです。

どちらかというと、作品読解は元の論理に当てはまっている例を示すといった感じで、それ自体が証明です。なので、そこの結びつきの証明は、「証明の証明、そのまた証明…」と際限なく続いてしまう危険があり、そこまでは流石に必要とされません。

ですから、まずはそんなことを気にせず、元にする論理に合っている箇所を切り取って示すだけで構いません。実はそれすらもなされてないことがほとんどですので、関連を示しただけでも十分に「批評」なのです。

STEP③
受容理論を書いて世の中に物申そう!

そうはいってもどこから書いていいのかわからないよ〜(泣)と思われる方もいるかもしれません。大丈夫です、そんなときは受容理論を書いてみましょう。

受容理論とは、一般に何でその作品が(その時代に)ウケたのかを考察するものと言われています。要は作品がその時代の時代性を映すという考え方ですね。

さきほどは「ヒットの法則」を探せ!と書いてしまいましたが、見つけるのがめんどくさいと思われる方も多いでしょう。それに加えて「なんかそんな意識高めのビジネス本みたいな文章に依拠したくね〜」という感情を抱いた人もいたかもしれません。

そんな時は、受容理論です。一番やりやすいし求めている読者が多いのは、「なぜ〇〇(作品名)はウケたのか?」という批評です。このとき大きく分けて2つのやり方でウケた理由を解剖することができます。

ひとつは時代精神に作品を当てはめるやり方です。「なぜ〇〇(作品名)はZ世代にウケたのか?」という批評を書く場合、Z世代の精神性をまず「Z世代 特徴」とか「Z世代 性格」と検索してみて、その特徴とそこから導き出せるニーズをいくつか挙げてみましょう。あとはそのニーズに作品を当てはめれば批評の完成です。

もうひとつは、作品の「売れ方」の分析です。作品の内容ではなくて、その作品がどうバズったのかという経路を分析します。つまり受容のされ方の分析です。Z世代を対象にするなら「どうSNSでバズったのか」という経路の分析です。

いずれにせよ、受容理論のいいところは、自分がどう作品を解釈したのかは別に必要ない点です。自分がどう感じたかという「主観」を展開することは難しいですし、なんだか「学問的」ではありません。むしろ世間一般にどう受け入れられたかという「客観的」な答え合わせこそが意義があるのです。

さらに、そこに社会問題が潜んでいる点も重要です。自分がどう考えたかなんてなんだか社会的な意義がなさそうですし、せっかくなら世の中に物申してこその批評という感じがします。もしくは自分の意見を言う自信がなかったり、もう議論され尽くして作品について自分が何かを言う余地がないという場合でも、作品から社会を考察することはできます。

なぜウケているのかの答え合わせは読者が求めていることです。さらに受容理論に基づいた批評は、答えがあらかじめ定まっているので実は書きやすく、一石二鳥なのです。

コツ①
強い口調で断定しよう!

次に文章を書き方のコツを伝授します。それは、強い口調で断定することです。

なぜなら、読者は正解を求めているからです。正解は、自信のある断定の形を取らないといけません。ですから、議論が少し雑になってしまっても、自信を持って言い切ることが大切です。

正直な話、読者はどう分析しているのかをまともに見てはいません。欲しかった答えが分析の結果導き出されているという事実だけが大事で、そこに至るまでのプロセスはほとんどの人は読んでいないのです。せいぜい「ここは分析パートなんだな」と呼び飛ばされるのが関の山です。

だからこそ、導き出した結論は強く言い切ることが大事です。そこが明示されていないと残念ながら、何の話をしているのかを誰にもわかってもらえないのです。

恥ずかしがって予防線を張らずに、しっかり気持ちよく断定すること。それこそが読み手に真意が伝わる「論理的な」文章であり、ゆえに批評なのです。

コツ②
最悪、作品は見ないでもOK!

そして、元も子もない話になってしまいますが、最悪作品は見なくてもOKです!

これは冗談で言っているわけではありません。今まで見てきたように、我々が分析するべきは作品それ自体ではなく、そこに潜む論理やそれがどう受容されたのかという見る側の精神です。ですから、作品は必ずしも見なければならないわけではないのです。

繰り返しますが、大事なのはその作品の固有性を分析することではなく、一般化して他の作品にも適応できるような強い理論を論証することです。そのときに他の作品を対象にしても同じことを言えてしまうのではないかという代替可能性は考える必要はありません。

なぜなら、その対象とする作品は、いわば時代に選ばれた作品であり、なぜその作品を選んだのかという質問それ自体がナンセンスだからです。むしろ他の作品でも言えてしまうような強い理論のフレームを誇るべきです。

そうすると、作品の細部を検討するより、おおまかなストーリーを把握する方が大切になります。それがたとえアニメ批評であっても、まず注目すべきはその物語です。ですから、慣れてきたら作品を見ることなく、あらすじだけを読んで批評することも可能です。そこまできたらもう上級者ですね。

おわりに

このように、ひとくちにサブカル批評といっても様々で、作品に対して物知りでないと批評を書くことができないというわけではないのです。むしろ作品のことをよくわかっていなくても書けてしまうのが批評の醍醐味でもあるのです。

最後に今まで言ったことをまとめると、「馬鹿でもできる批評のやり方」とは、「既存の理論や社会の風潮に作品を当てはめていくこと。その際に作者の意図は一切気にしなくていいし、作品の細部よりは全体的な物語を掴むことが大事である。さらに、理論に合うように作品を切り取って結びつけてもかまわない」といったところでしょう。

ほんとうかよと思われる方もいるかもしれませんが、その自由さこそが批評の醍醐味なのです。実際に、この数年で出版されているサブカル批評の本も、たいていはこのやり方を踏襲しています。実はこれが王道の批評のやり方なのです。

いずれにせよ、文章はまず書くことが大事です。批評は書き方を覚えれば慣れてきて色々な作品を対象に書けるようになります。

そして大事なのは審美眼です。批評を書けるようになると、批評に対する審美眼を養うことができます。事実、批評は内容もその書き方も玉石混交です。見る目を養うためにもまず文章を書いてみることが肝要なのです。レッツトライ!

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