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うつ病回復談

うつ病回復期
うつ病の回復期に焦点を宛てた話を書きます。最初に重要なお話をします。うつ病は非常に辛い病気です、なかなか治らず人生の線路を外れてしまうそんな病気です。でも止まない雨は無いようにいつか晴れた日が訪れます。今、死にたいと思ってる方、もう少しだけ生きてみませんか?今日はそんな私からの応援歌のつもりで、回復期の話書きます。私の1回目の回復期は友人の一言から始まりました。とんこつさんは、難しいゲームを遊んでいるけどもっと簡単なゲームを遊んで見たらです。当時私は難しいゲームをしていたので、近所の中古ゲームショップで、みんなのテニスというゲームを遊びます。初めてうつ病にになって、時間をつぶせるようになったという喜びがありました。お陰で1回目のうつ病時の引っ越しは割とスムーズに行きました。また当時は実家暮らしだったのですが、晩御飯を食べに継母の元に車で往復するという日々を送っていました、週末などはあしたか公園まで車で行きました、自閉症気味だった私は半ば強制的に外出に慣らされていました。とは言え、職が決まらず、ニートで家でゲームやアニメを見ていました。ある時、アニメメジャーのエンディングソングstepを聞いて心がぱっと開きます。「信じれば叶うと人は言うけれど信じるために今日何が出来るとドアを開けた」というフレーズが私の心に刺さります。ブックオフまで足を運ぶようになりました。毎日ブックオフに通っていた気がします。もっとも大きな転換期はサモンナイト4というゲームを遊んでいた時でした。パズルゲームが解けないので、プログラムを組んでパズルを解かせるようにしてみたところ上手く行きました、「あれ、私はまだプログラムが組めるぞ」そこから私の自作ゲーム開発が始まります。
https://www.youtube.com/shorts/pyohuAl-4ZM
自作ゲームの動画のURLを貼ってみました。ちゃんと見れるかな?15年前のパソコンではこれだけのゲームを作のは中々難しいと思います。専門用語になりますがZバッファがまともに使えない環境で、深度ブラーを実現しています。作品作りは私に勇気をもたらしました。それでも社会で働く自信にはつながらなかったので、車の免許を取る事にしました。周りに人が居ても大丈夫。そんな状況もあと押しになって父にインターネットを実家に引いてくれるよう懇願します。最初父は納得してくれませんでしたが、毎日一生けん命自作ゲームを作ってる姿は見てたので、最後は折れてくれました。こうして2社の内定を得る事になります。これが第1回目の回復期です。飲んでいる薬も、デパス0.5ミリ半錠とデジレル1錠まで減っていました。
2度目の回復期は、やはりみんなのテニスから始まりました。ただ2回目は2度急性期がやってきます。ただ止まない雨はなくやがて春がやってきました。自転車でデイケアに通う毎日非常に充実した日々を送ります。ニチイ学館の受講も大変だったけど良い思い出です。日本将棋連盟に通った日々も良い思い出です。最近はピアサポートの資格を取りました。今は差し当たっての夢はサラダボウルでピアスタッフをやる事です。

とんこつブログは主に障害者の為になる記事や日常の出来事を中心に活動しています。つたない文章で誤字などもあるかと思いますが温かい目で見て頂ければ幸いです。