努力とタイムマシン
秋葉原でちょっと買い物をした帰り、本屋の前を通り過ぎるあたりで昔の部下のことを思い出した。ある時からちっとも努力しなくなって、遊び呆けるようになったA君のことを。
彼はいわゆる、仕事ができない子で、普通だったら劣等感を覚えてもおかしくないのにそんな素振りは一切見せない。むしろいつも謎の自信に満ち溢れていた不思議な子。
あるとき、飲み会で話を聞いてみたら
「僕はね30歳のまさに誕生日に作家デビューして、そこから出す小説出す小説全部大ヒット、映像化をする作品を何本も作るんです」って。
なんだ、プライベートでは小説家になるために努力してたのか、と思って少し感心したんです。というのも彼の誕生日は来週、おそらく出版の話がもう決まってるんだって。
A君の誕生日。作家になっても会社は続けるんだろうか?なんてことを考えながら出社を待っていたのに、時間になっても一向に現れる気配がない。
作家になって浮かれているのかもしれないけど、無断で仕事を休んでいいわけがない。
だけど次の日も、その次の日も彼は来ない。一週間ほど無断欠勤が続き、流石に心配になって彼の家を訪問した。
高円寺にある少し古いアパートの2階にある彼の部屋を訪れてチャイムを鳴らしてみる。
ピンポン、と軽い音が鳴った後、ドタドタと音が聞こえドアが開く。
「やっときたんですか!」
嬉しそうな顔で出てきた彼、訪問者が私だと気づくと落胆の表情。
「なんで……おかしい、こんなはずじゃなかったのに」
近くにある純喫茶で彼に話を聞いてみるもののどうにも要領を得ない。
「だから、5年前に未来の自分と会って30歳の誕生日に作家デビューして人生が順風満帆だって聞いたんですって!」
???
彼の話をまとめるとこうらしい。
5年前の会社終わり、小説家になるという夢を叶えるために公園で作品の構想を練っていると、未来のA君を自称する身なりのいい老人に声をかけられたと。
もちろん、そんなこと簡単に信じられるわけもないけど、まさに今考えていた作品の構想をドンピシャに当てられて、さらにはそれがきっかけでデビューするということを言われて信じきっていたと。
彼の話を聞いたとき、申し訳ないが、嬉しさが込み上げていた。
「そこからは居ても立っても居られなくなって、仕事もそこそこにすぐに作品を完成させて出版社に送ったんです。コレで30歳になったらその小説が大ヒットするはずだったんです……」
確かに、もともと真面目だったA君が急に素行不良になった時期と重なってる。だけどちょっと待てよ?
彼の態度が悪くなったのは約5年前、そこから大ヒットするはずだった作品が日の目を浴びるまでにあまりにもタイムラグがありはしないか?
少し考えてみると一つの仮説が浮かんできた。もしかして、成功した世界のA君は力作だと思った作品がなんの評価もされなかったあとにも小説を書き続けたのでは?
そして数年後、やっとのことで別の作品がきっかけでプロデビューが決まる。編集者との会話の中で昔書いた力作について話になり、それを見せると編集者が大絶賛。急遽予定を変えて力作の方でデビューすることになった、とか。
コレはあり得るかもしれない。
私の考えた仮説をA君に伝えると彼の表情は目まぐるしく移り変わり、そしてやがてはじめてコーヒーを飲んだ子供のような顔になった。
「そっか、そうかもしれません。未来の自分に会うまでの僕だったら出版社からの反応がなかったとしても小説を書き続けたと思います。そっか、そうかぁ」
何度も何度もそうか、そうだよなぁと呟きながら涙が溢れる彼を見て、最悪の結末を想像して不安になる。
自分の行いによってそんなことになるのは耐えられず、思わず言ってしまった。
「別に、今からでも遅くないんじゃない?最近小説を書いてないみたいだけど、たった5年のブランクでしょ?」
ふと、口をついて出た言葉に自分でも驚いた。しかしそうだ、たった5年。
時代は変わってしまっているが、未来の彼の言葉を信じるなら出す作品が全てヒットする未来の大先生のはず。
ならたった5年のブランクなんてあってないようなものだろう。
彼にそのことを伝えると、ほんのり口角を上げながらそっか、そうだよなぁと繰り返す。
コレなら心配ないだろうと思い、明日からはきちんと出社すること、未来の自分に会うまでのように真面目に働きながら小説を書くことを命じて高円寺をあとにした。
次の日、彼は出社し、それまでの5年間が嘘だったかのように真面目に働いた。
そして、36歳のとき、無事に作家デビュー。さらにその一年後には直木賞の候補に選ばれ、本屋大賞も受賞。未来の自分が教えてくれたように出す作品はことごとく大ヒット。
丁度今通った本屋の入り口にも大量に彼の本が平積みされていて、そんな不思議な体験を思い出した。
ーーあれ?
でも、未来のA君はなんのために2010年に来てわざわざ成功する未来を教えたんだろう?
大先生くらいの想像力があれば、自分の発言で油断してしまうことくらい分かっていても良さそうだけど……。
ま、そんなことどうでもいいか。背中を押されたことだし、私も、頑張んなきゃな。家に帰ってタイムマシンの設計を進めよう。
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