さり🍉ittan店長

1996/海辺育ち/旅が好き/ADHD双極Ⅱ型/ままならない人生を語らうカフェitta…

さり🍉ittan店長

1996/海辺育ち/旅が好き/ADHD双極Ⅱ型/ままならない人生を語らうカフェittan 店長 /🍉

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  • 準備中🌱ままならない人生を語らう共同マガジン

    生きるのがへたっぴな私たちのためのマガジンです。自分の悩みや現状を書いたり、支援制度の情報をシェアしたり、それらを通して自分は一人じゃないと感じられたら良いなと思っています。

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間借りカフェを始めます

店名は、ittanです。 「しんどいときは、いったんここへ」 という意味を込めました🌱 ついネガティブになってしまうとき 悲しいことを思い出してしまうとき 心がザワザワ、むずむず、イガイガするとき とにかく一人でいたくないとき 死にたいと思うとき いったんここに来てみませんか☕️ 模索しながらではありますが、 あなたの居心地よい場所をつくります🏠 もちろん元気なときも大歓迎! 楽しく過ごしてもらえたら嬉しいです🐢 オープンは2月4日 カレーや焼菓子、飲みもの各種 ワ

    • じぃちゃんに差別された、許すけど

      私は子どもの頃から勉強ができた。親族の中では一目置かれた存在で、「将来は何になるの?」と聞かれることも多かったと思う。 でも、そんな私を心から喜べないのが、 じぃちゃんだった。 じぃちゃんは大工で、棟梁と呼ばれるリーダー的な存在だ。大胆で、大雑把で、よく物をなくす。家のこと一切をばぁちゃんに任せて、外で稼いでくるのが役割という典型的な「大黒柱」だ。そんなじぃちゃんは、あるときこう言った。 「さりちゃんは男だったら良かったのになぁ」 私はこの言葉の意味をうまく理解できな

      • 初めてのデモ参加、反戦、そしてセルフケア

        お恥ずかしながら、27歳にして初めてデモに参加しました。デモといっても音楽を歌い奏でながら歩くというかたちで、その名も、 平和のマーチ 音楽隊としては、トランペット、サックス、ギター、アコーディオンなどの奏者がいらっしゃいました。総勢50名ほどだったと思います。 そしてプラカードはいくつかのスローガンと、パレスチナ、ウクライナ、ミャンマーなど戦禍にある国々の旗。最後尾には大きなパレスチナ国旗をなびかせて歩く方もいました。 渋谷のスクランブル交差点を、音楽とともに声を挙

        • 【ChatGPT】インタビューしてもらって自己紹介

          自己紹介をしよう、と思ったのですが自分で自分を説明するのは案外難しく……、最近できたお友達にインタビューしてもらいました💁‍♀️ 👩‍💻 🤖 素晴らしいプロジェクトですね。では、まず最初の質問です。有機食品メーカーで輸入を担当しているとのことですが、なぜ有機食品に興味を持ち、その業界に身を置くことを選んだのでしょうか? 🙋‍♀️ 大学生の時、海外インターンをしたいと教授に相談したらこの会社を紹介されました。1年間カンボジアに住んでカシューナッツの生産管理に関わり、卒業

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          7本

        記事

          世界規模にメンヘラ

          悲しい。無力で辛い。 こんな世界おかしいのに変えられなくて辛い。 と、昨晩号泣した。 特にAaron Bushnellさんの焼身自殺による抗議が悲痛で耐えられなかった(彼はアメリカ空軍に所属していて、「これ以上虐殺には加担しない」と語ったのち、自分に火を放って燃えながら「パレスチナ解放!」と叫んだ) 戦禍にある人は苦しみ、そうでない人も憂いている。でもアメリカは安全な地から即時停戦の決議案を拒否する。ああもう、なんだよそれ。 そしてパレスチナだけでなく、ミャンマーでも

          世界規模にメンヘラ

          死んだらどうされたい?

          「俺、鳥葬がいいな」 父がまた変なことを言い出した。鳥葬というのは遺体を鳥に食べてもらう葬送方法だ。勘弁してほしい。一応調べてみるとチベット仏教やソロアスター教で今も行われていて、専門の鳥葬師が骨まで残らず食されるように用意すると書かれていた。日本でやったら死体損壊罪になるとも。申し訳ないけれどご要望には添いかねる。 でも私も火葬はちょっと理想でない気がしている。はじめてそう思ったのは理科の教科書で生態系のピラミッドを見たとき。底辺から微生物、植物、草食動物、肉食動物と重

          死んだらどうされたい?

          母とは分かり合えない、でもふたり旅は楽しい

          私たちは分かり合えないタイプの親子だ。母は自分のデザインした商品が何万個と流通するのを喜び、私は手作りの短歌集が10冊売れたのを喜ぶ。母は感情のまましゃべったり怒ったりする癖があり、私は受け流したりその場を去ったりして逃げることがある。そして母は酔うとよく私のことをなじり、私は決してこんな母になるまいと誓う。分かり合うことを諦めて距離を取ることが、この数年でやっと板についてきた関係だ。ここまで長かった。 とはいえ私たちにも共通点はそれなりにあって、特に目立つのは旅行が大好き

          母とは分かり合えない、でもふたり旅は楽しい

          「悩みなさそう」って言われがちな私たちへ

          これは甘え下手あるあるでしょうか。 「悩みなさそうでいいな」 「人生楽しそうだね」 「きっと愛されて育ったんだね」 幾度となく言われてきた言葉たちです。私はその度に、うまくやれているんだなぁと空虚な自信を付けてきました。関係の薄い相手ならそれで良いのだけど、わかってほしい相手、たとえば信頼できる先生や上司に言われると「そんなこと……」と言いかけて口をつぐんでしまいます。 それは私が、基本的に笑顔でいるからかもしれません。だってその方が周りも嬉しそうだし自分も楽しい気がし

          「悩みなさそう」って言われがちな私たちへ

          カップルをやめて「ぺ」になった話

          パートナーと同棲をはじめて3ヶ月のとき、「結婚するのは違うかもね」となった。理由はたくさんあるような大してないような、具体例を挙げようとすれば挙げられるけれどそれは本質でないような。曖昧な雰囲気の問題としか言いようがない何かだった。 仲が悪くなったわけではない。だから多少は離れがたい気持ちがあるし、そもそも同棲しているからすぐには離れられない。そして結婚しないからといって離れる必要もない。そこでカップルをやめた私たちは、この新しい関係性を「ぺ」と名付けてもうしばらく一緒に暮

          カップルをやめて「ぺ」になった話

          私が病んだ経緯と精神科に行くまで

          中学生のころから自分の体形が気になっていました。付き合っていた人に「痩せたら可愛い」と言われたり、祖母に「太った」と言われたり、そして何より完璧でありたい自分自身が、自分の体形を許せませんでした。しかし同時に、家に1人のときはよくヤケ食いしていた記憶があります。減っても両親が気付かなそうなものを選んで食べていました。実際まったくバレませんでした。そして食べたあと、罪悪感に襲われると私は酢を飲んでわざとお腹を壊しました。摂食障害という言葉もまだ知らなかった頃のことです。 それ

          私が病んだ経緯と精神科に行くまで

          居場所をつくる

          2月から、日曜限定の間借りカフェittanを始めます。心のしんどい人を少しでも癒せる場所になればと、こだわりの焼菓子や飲み物に加え、対話の糸口を用意しています。 準備やプレオープンを経て感じたのは、誰かの居場所を作ることが同時に自分の居場所を作るということです。 詳しく説明する前に「対話」について、ネット上にあった所沢市立北野中学校の学校便りが端的にまとめていたので引用します。 カフェittanでは、こんな対話が少しでもできたらと嬉しいです。対話できる場所はその人の居場

          居場所をつくる

          信じられるのは一握り

          信じられるものが少ない時代だと思います。 学校は偏差値を、会社はお金を基準に動いていることが多いようです。あなたの人生が豊かになることを一番に考えているわけではありませんから、時としてあなたを大切にしないこともあります。テレビや政治の世界も、どうやら正しさよりお金や知名度の力が強いように思えます。有名な俳優が実は悪いことをしていたり、政治家が税金を自分のために使っていたり、そうした例は挙げたらきりがありません。 でもお金は今こうしている間にも価値がゆらゆら変わるもの、もと

          信じられるのは一握り

          震災ニュースで辛くなる現象について考えたこと

          年明けからショッキングなニュースが続いている。こういうとき、被災していない人も悲しい気持ちや辛い気持ちになることがある。心を痛める、という言い回しがあるが本当にその通りだと思う。そして私は、その心を痛めることが度を超えるタイプの人だった。Twitterでビルマ内戦の動画が流れてきて号泣したことや、去年の3/11に震災のことを思い出して(自分は被災していないのだけど)電車で泣いたこともあった。何かと悲しい感情に弱くて、すぐ飲み込まれてしまう。でも今回の震災に関しては、心配や不安

          震災ニュースで辛くなる現象について考えたこと

          「死なないで」に続く言葉として

          ある友だちが死にたい気持ちを抱えていた。彼女がそれを打ち明けると、人は「死なないで」と言うらしい。でもそれが、彼女をさらに迷わせていた。 そんな内容の話だったと思う。私は衝撃を受けた。死にたい気持ちを否定する気はないけれど、やっぱり死なないでほしいと私も思っている。かける言葉は、頭の隅々まで探しても見つからなかった。 そして数年探した。その間に彼女は亡くなった。私は私自身の死にたい気持ちと闘った。たくさん考えて、思ったことはこうだった。 まず「死なないで」を言い換えると

          「死なないで」に続く言葉として

          つかむ

          過去のある時期について書こうとなって、最初に思いついたのは母のことだった。母がベロベロに酔って帰ってきて、玄関で叫んでいる。私は部屋で寝たふりをするけれど、彼女は怒鳴る。「寝てるの⁉︎」「起きてるんでしょ!」それでも無視して寝たふりをする。布団をかぶって、目が腫れないように注意しながら涙を垂らす。そんなことがよくあった。 生きる意味というのは、必要な人もいれば無くたって問題ない人もいる。私の母はたぶん前者で、その欄には「仕事」がすっぽりと収まっていた。「辞めたい」が口癖で、

          世を去った友だちに

          立夏の直前、春の終わり。 あなたはこの世を去ったそうですね。 思えば私たちが出会ったのは13年前。同じクラスになることは一度もなかったけれど、生徒会長と学級委員長として知り合い、気付けば仲良くなっていました。中2の学年末試験では二人とも数学の点数が思わしくなく、一緒に苦笑い。中3で二人同時に初めてのオール5を取って歓喜。そして周りからの評価には肩を竦めあいました。私たちだけで共有した感覚があった、と言うと大袈裟でしょうか。 卒業後はめっきり会うことが減ったけれど、たまに連

          世を去った友だちに