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稲刈りの祭

京阪線の穴太駅から徒歩10分。坂を上がると山を拓いた中に、木々に抱かれるような茅葺き屋根と田畑が見えてくる。自給自足の一家と賛同者が集う古民家、麦の家だ。

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畑に植えられた胡瓜や茄子は等間隔に並び、伸びやかに育ちながらも要所で括られて、たわわに実をつけている。素人目に見ても大切に育てられていることは疑いなかった。

しかも無農薬だと言うのに虫喰い1つなく、丸茄子なんてコロっと妖艶に美しい。有機野菜は多少見た目が悪くても仕方ないと思っていたが、その限りではないようだ。常日頃よくよく自分の畑を見て、虫がついたら直ぐに取ってやるのだろう。これは"農業"ではなく自給自足のための"農"、つまり沢山は作らないから出来るまさに"Small is beautiful"の世界である。

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振り返って田んぼに目をやると、その畔の前にどっぷりと座り込んだ大きな石にはしめ縄がかけられていた。今日は稲刈りの初日で抜穂祭と呼ばれる祭事。この田んぼが主役である。

10時過ぎ。参加者が集まり、まずは儀式が始まった。二駅先の近江神宮の神主により、祝詞が上げられる。

天つ神、地つ神、八百万の神たちとともに
聞こしめせと畏み畏みもうす

参加者も稲穂も頭を垂れて耳を澄ませる。すると蝉の声や水の流れ、そして台所で昼食をつくる音にも気付いた。それはたとえば、三浦しをんの小説の中に飛び込んだような、もしくは漠然とした昔の農村のイメージを具体化したような美しくて時間がゆったりと流れる情景だ。

そうして祝詞を終えると、神主は田んぼの四つ角で榊を振って紙吹雪を撒いた。色えんぴつみたいな黄緑色の芝生に白い和紙が散った。

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そしていよいよ稲刈り。のこぎりの様なギザギザした刃の鎌を手に、家主の説明を受ける。田んぼは乾いていると聞いていたが連日の雨でぬかるんでしまったそうだ。スニーカーで来ていたので裸足になるか迷う。

具体的な刈り方は近くにいたおじさんが見せてくれた。「鎌はこうやって引くんだ」と、ザッと音を立てて一息に稲を切る。私もとりあえずスニーカーを履いたまま畔から届く株を刈った。

ぎしぎしぎしぎし

鎌を4往復させてやっと一株が切れる。おじさんは「そうじゃねぇんだ」と笑ってもう一度見せてくれる。

ザッ

…ぎっ、ぎしぎしぎし

「そうじゃねぇって、こう、こう」

今度はエア稲刈りを見せてくれた。するとおじさんが鎌の弧に沿って手首の角度を変えていることに気付く。はじめは手首を曲げて鎌の根元を稲の奥に。引きながらも刃の当たり方が変わらないよう、鎌の弧に合わせてだんだん手首をまっすぐに。

ザクッザクッ

なんとか二息で切れるようになった。音もさっきまでと違う。おじさんは「そうだそうだ、ちょっと賢くなったな」と笑った。

気付けば畔から届く範囲は刈り終わっている。「切った株の上歩け、そこなら沈まない」
言われるがままに切り株の上を踏むと、泥の中によく根を張ったのだろう稲株が私を支えてくれた。しかし二息で切っているため、切り口が平らでなくて立ちにくい。なるほど、一息の「ザッ」は速さだけでなく整頓も兼ねていたのか。おじさんは平らであろう切り株を踏んでどんどんと進んでいった。豪快ながら繊細な美しさが、ぎゅっとこの田んぼに詰まっているように思えた。

しかしその繊細ゆえ、素人がぬかるんだ中に入って水溜りでも作ったら後が大変というのは共通認識のようだ。畔から5株ほど刈ったところで終了となる。近くの水路で手と鎌を洗い、スニーカーの泥も簡単に落とした。透明で冷たい水は、多少の泥が混じってもまだ充分に透明だった。

それから茅葺き屋根の家に上がり、昼食の準備を手伝う。長茄子は揚げ浸しで丸茄子は味噌田楽。野菜の個性を熟知したうえの献立なのだろうと一人で納得する。

全員が席に着いてから、まずは儀式を行った神主の乾杯で地酒をいただいた。米の香りがする甘口の酒。参加者の一人がやっている蔵元のものらしい。その他にも農学部の教授や農業塾の主催者など様々な実践を行う方々がいた。大学生の私は1番年下のようだ。

料理はもはや言わずもがな、どれも美味しい。炊き込みご飯には具がゴロゴロ入り、冬瓜のつゆは茗荷が効いている。野菜と出汁の味には、田畑の姿と似た丁寧さの伝わる風格がある。

そうしておじさんたちの話を聞きながら昼下がりまで過ごした。ゆとり世代の教育や進む環境破壊に心配が溢れる。ときどき反論しつつ、だいたいは頷いて聞いた。

これからの社会が不安なのは若者だけではない。たくさんの先人も、どうしたら良くなるのか分からず心配している。それは時にお節介すぎたり、批判交じりだったりもする。しかしこの日集まった人が共通して持つ方策は「農」だ。こうして自分の手で土を耕し、食を楽しみ、自然の循環の中で生きることだ。

40年、50年後、私たちはたぶん満足に生活できるほどの年金はもらえない。日本円がいつまであるかだって分からない。そのときに自給自足は強い。心配のしすぎだと思われるだろうけれど、そういう危機感を持って生きることが強く生きることだと思う。

だからっていきなりここに移住する気にはなれないのも事実だ。自分がこの後どうするか。大きな社会の流れと小さな足元の循環、どう折り合いをつけるべきだろう。私なりの距離感を見つける必要がある。

そう話すと家主は「貴方のこれからを楽しみにしている」と言ってくれた。また現状報告に来ることを約束し、坂道を下りて電車に乗った。

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(家主の娘さんと)

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