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2019.5.21 日露戦争の裏側③

満州の建国は五族共和を目指したものでしたが、当時ロシアから流出した反ユダヤ人、プロパガンダ文書を手にした日本陸軍は、国家建設のため世界中で差別されている有能で経済力のあるユダヤ民族の力を借りるという、日産や日立の創業者である鮎川義介が提唱したユダヤ人国家建設計画、通称「河豚計画」が秘密裏に建てられました。

通称の由来にあるように、この計画は魚のフグように美味ではあるけれども猛毒も持ち合わせている、二面性のある計画でした。
成功すれば、満州は経済的にも反映しただけでなく、日米の衝突も避けられる可能性がありました…。

しかし、ほんの小さな事件が猛毒となり、その夢を打ち砕きました。

ロシア革命の中枢に革命家のレーニンをはじめ、たくさんのユダヤ人が絡んでいた事から、白系ロシア人はユダヤ人を敵視していました…。

「ユダヤが世界を征服しようとしている」

まことしやかに書かれたプロパガンダ文書も出回り、多くの人がそれを読んで信じました。

そんな中、ユダヤ人の男性ピアニストが誘拐され惨殺されました。彼は両手の生爪を剥がされ、耳を削がれた上に、頭に銃弾を撃ち込まれ殺されるといった、非常に凄惨なものでした。

犯人は白系ロシア人らでしたが、処罰は軽く数日のうちに釈放されました。

なぜなら、白系ロシア人は赤系の共産党を徹底的に敵視していたのと、日本も同じく共産党を恐れて警戒していたため、敵の敵は味方の論理が働いたのかもしれません。

しかし、この事件をきっかけに、ユダヤ人は親日から反日へと転換します…。

米国との仲をユダヤ人に取り持ってもらい、関係を改善するという施策も失敗に終わります。


そして、米国と日本の対立はどんどん深まっていき、解決を見出だせないまま月日は流れ、ナチスドイツとイタリア王国との三国同盟で、日本を完全に
米国の敵にまわしてしまった松岡洋右。


日本帝国を滅亡寸前まで追い込んだ日米戦争の発端が実は満州国にあり、その発端は日露戦争から始まるものであったのです。

そして私たちは、満州国に関して何も教科書で教わっていないのが実情なのです。

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