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2019.6.15 満州国とユダヤ人計画

1931年9月18日22時20分…
静寂を爆破音が貫き、暗闇が一瞬、赤く染まった。

「南満州鉄道が爆破された。中国軍による不法攻撃だ」
「今すぐ出撃せよ」

闇の中で始まった中国軍との銃撃戦は明け方まで続き、翌日までのわずかな時間で満州南部の3都市を占領。

その後も関東軍は止まるところを知らず、日本の国土の5倍にあたる満州の地をたった5ヶ月で制圧。

満州事変のきっかけになった南満州鉄道の爆破。

これが中国軍の犯行ではなく、関東軍の自作自演であったことは後に発覚しますが、実はこの爆破工作は、日本政府の指示で行われたものではありませんでした。

それどころか、
「満蒙といえども、外交に関しては外務大臣に一任するべきであって、軍が先走ってとやかく言うのは甚だけしからん」

と、昭和天皇をはじめとする宮中からの牽制すら受けていた中での独断でした。

その後も、閣議決定された戦線不拡大の方針を無視して関東軍は暴走。

昭和天皇が「まかりならん」の一点張りを通す中、司令官の独断で行われた朝鮮軍の増援など、満州事変は命令違反、現場の独断、暴走の連続でした…

この満州事変を画策した男こそ、帝国陸軍の異端児と呼ばれた謀略の天才、石原莞爾です。

昭和天皇の意向を無視し、独断で満州事変を進めた石原。

彼は、満州に未来を託していました。

世界恐慌に端を発する昭和恐慌と、凶作に苦しんでいた当時の日本。

都市部では失業者が溢れ、農村部では餓死者が続出、娘の身売りが横行。

石原は解決策を満州に求めました。

満州に進出すれば、軍事産業で雇用は回復。

不景気で「モノが売れない」日本に代わる新しい消費市場も、農業のための広大な土地も手に入る。

日本が抱える国内問題を一掃できる、そう考えていました。

それだけではありません。
「第一次世界大戦は『準決勝』に過ぎない。『最終決戦』として日本と米国が衝突し、勝者が世界を統一するべきだ」

そんな野望を抱いていた石原は、来たる米国との決戦に備えるため、主要なエネルギー源であった石炭、砲弾を作るための鉄、戦闘機に不可欠なアルミニウムなど、豊富な資源が眠る満州を日本の国力・軍事力育成の基盤にしようと目論んでいました。

「人口が膨れ上がり、食料問題でも行き詰まりを見せている日本は、せっかく獲った権益を守り、これを足掛かりに、満蒙で活路を開こうとするのは当然のことではないか」

石原はそう語っていたといいます。

満州に目をつけた日本人は、当然、彼だけではありませんでした。

例えば、
現在の日産自動車、日立、損保ジャパンを作った鮎川義介

安倍首相の祖父であり、自身も戦後の総理大臣として活躍した「昭和の妖怪」岸信介

ヒトラーやスターリンとの提携、日独伊三国同盟を結んだ外務大臣、松岡洋右

日米対戦中の内閣総理大臣、東條英機

日中戦争の司令官を務め、陸軍大臣まで上り詰めた、板垣征四郎

などといった日本の中心人物が揃い、
「日露戦争の損害を満州での稼ぎで埋めよう」
と国内予算と同等の金を満州に費やしました。

商売人たちも、関東軍のバックアップのもと、莫大な利権を手にしていました。

そして彼らは、満州を日本の「金のなる木」にするため、ユダヤ人を利用しようと計画します。

ユダヤ人といえば、金儲けや学問に秀でた一方で、世界中から恐れられ迫害される民族。

上手く使えば富をもたらすが、間違えば国を乗っ取られるという猛毒に晒される…

そんな背景から、その計画は「フグ計画」と呼ばれていました。

迫害に苦しめられていたユダヤ人は、唯一歩み寄った日本のために、続々と満州に集まり力を貸していきます。

(うまくいけば、ユダヤ人国家イスラエルは満州にできていたかもしれません)

全てが順調に見えていた日本。

しかし、
「すべては満州から狂っていった。」
「日本は、満州という魔物の中に入って行って、前後不覚になった。」

莫大な利益を見込める満州を狙っていたのは日本だけではありませんでした。

中国も豊富な資源を求め、領土拡大を狙っていました。

ロシアは大陸南下政策のために満州を支配する日本が邪魔で仕方ありませんでした。

また、アメリカは世界の覇権を握るためユーラシア大陸に支配を広げようと、日本を通じ、満州へ出資を行おうとしていました。

そんな中、莫大な利権に目が眩んだのか…、関東軍は暴走を始めます。

様々な国家の思惑が絡み合う危険な地、満州の利権を、すべて自分たちで独り占めしようとしたのです。

そのことで日本は、世界中から睨まれる存在となっていきます…。

そして、関東軍がある事件の対応を間違えたせいで、ユダヤ人でさえも満州から去っていく羽目になります。

明治維新後、先進国の仲間入りを果たし、順風満帆に見えていた日本は、満州に手を出したせいで、元は友好関係にあったアメリカとも対立し、日米全面戦争に向かい、国家滅亡の危機に立たされることになります。

事実、日米開戦の争点となったのは満州でした。

アメリカは、最後通牒と言われるハル・ノートに「満州を完全放棄しろ」と書いて送って来たました。

そして、日本は真珠湾攻撃を決行することにります。

日本の生命線に思えた満州。そこは、各国の思惑と利権が絡む、危険な場所だったのです…。

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