2019.8.22 敗戦2日後…焼け野原で出光が語ったこと
高度成長を支えた大実業家である出光 佐三氏の誕生日(8/22)を記念して、本日未明に書き綴った‟海賊と呼ばれた男”の知られざる秘密。
日本敗戦から2日後の1945年8月17日…。
国民はおしなべて敗戦の衝撃に打ちのめされ、民族の歴史や伝統に対する誇りも失っていました…。
さらには、連合国の日本占領が目前に迫り、誰もが不安を抱えていたその時、辺り一面が焼け野原となった東京の地で、出光興産社長の出光佐三は全社員に向かって、このような訓示を出しました…。
“私はこの際、店員諸君に3つのことを申し上げます。
一、愚痴を止めよ
二、世界無比の三千年の歴史を見直せ
三、そして今から建設にかかれ”
“愚痴は鳴き声である。亡国の声である。
婦女子の言であり、断じて男子の採らざるところである。
ただ昨日までの敵の長所を研究し取り入れ、己の短所を猛省し、全てをしっかりと肚の中に畳み込んで大国民の態度を失うな。
三千年の歴史を見直して、その偉大なる積極的国民性と広大無限の抱擁力と恐るべき咀嚼力とを強く信じ、安心して悠容迫らず堂々として再建設に進まねばならぬ。”
(「日本人にかえれ」出光佐三 著より引用)
戦争に敗れて早々、国民の大多数が茫然としている時に、このような発言をした佐三は世間から馬鹿者扱い、キチガイ扱いされました…。
しかし、このように言わしめたのは、かつての明治維新のように欧米の侵略を乗り越えた、強い日本人の精神性に対する確固たる信頼からでした。
実際、出光は明治以前の日本人のあり方を尊重し、社員にそれを手本とすることを説きました。
加えて、原爆投下など、米国の非道に対する激しい批判も載せた書物をガリ版刷りにし、あろうことか全社員に配布。
「占領軍に見つかったらひどい目に合わされる」
身を案じる知人や、友人はすぐに止めるよう忠告しましたが、それに対して佐三は、
「言うべきことを言い、書くべきことを書いたに過ぎない。正しい意見を述べているのに、何故、卑屈にならねばならないのか。」
そういって、回収も焼き捨てもしませんでした。
日本が戦前から持っていた強い精神を頼りに、会社と国家の再建へと挑んでいった出光佐三…。
昭和30年10月末には、
「アメリカを手本に、近代的な大製油所を作る。それを足がかりに、石油の流通だけでなく精製にも事業を拡大する。」
社運を賭けた新たな大勝負に挑むため、アメリカへと渡った…。
果たして、佐三はアメリカでどのような行動をとったのか?
当時の日本とは比べものにならないほど莫大な力を持つアメリカの財閥・企業に対して、1人の日本人として、どのように立ち向かっていったのか?...
現代日本で忘れられてしまった“和魂洋才”の精神を、実業家である出光佐三の思想・行動を通して知って頂ければと思います。
2019.8.22 ‟海賊と呼ばれた男”の知られざる秘密
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