2019.9.22 杉原千畝に怯えた外務省
1940年7月。
リトアニア・カウナス。
いつもと違うその朝は、突然やってきました。
杉原千畝が目を覚ますと、普段は静かな日本領事館の前からザワザワと大騒音が聞こえてきます。
「何事だ?!」
と、寝室の窓から外を見ると、数えられないほど多くの人たちが領事館の方を見つめています…。
群衆の一人が言いました。
「私たちユダヤ人はドイツから逃げて来た。ここまで130キロほどを歩いたが、もう私たちには行き場がない…」
彼らは命がけで逃げて来た。
そして、彼らの命は私の決断にかかっている…。
このままではユダヤ人たちの命が危ない…。
この人たちにビザを発給すれば命を救えるかもしれない!
しかし、同盟を結ぼうとしているナチスドイツとの関係もあり、日本の外務大臣からビザ発給は禁止されていました。
千畝は4日間、ひたすら悩み続けました。
彼らを救いたい。
でも、不安は波のように押し寄せてきます。
自分はとんでもないことをしようとしているのではないか。
ナチスドイツにこのことが知れたら、悲惨な運命が待っているかもしれない…。
その時、妻や幼い子どもたちはどうなるのか…?
でも千畝は、助けを求める人々を目の当たりにして、人間として放っておけませんでした…。
それから運命のビザ発給が始まりました。
千畝は、来る日も来る日もビザを書き続けました。
わずかな時間も無駄にせず、昼食の時間すら惜しんで、ひたすらビザを書き続けました…。
その偉大さは、日本でも話題になった映画「シンドラーのリスト」の監督・スピルバーグ氏が、
「私が『シンドラーのリスト』を作ったとき、千畝さんの存在を知らなかった。いつか千畝さんの物語を撮りたい。」
と語ったほどです。
でも、千畝の活躍はこれだけではありませんでした…。
杉原千畝には当時、世界が最も注目した満州で日本を救った過去があったのです…。
2019.9.21 「あいつは普通の日本人じゃない…」満州を動かした天才外交官
杉原千畝は、映画で話題になるまではほとんど広まっていませんでした。
事実、外務省が公式に杉原千畝の功績を認めたのは2000年になってから。
そしてこれには、どうやら深いワケがあるようです…。
そこには、千畝の活躍に嫉妬した醜い男たちの姿がありました…。
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終戦から2年近く経った頃。
ビザ発給を終え日本に帰国した千畝は、外務省に呼び出されます。
事務室に入った彼は突然、こう告げられます…。
「杉原君、君のポストは外務省にはもうない。退職して頂きたい。」
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日本のために働こうと希望に燃えていた千畝は、その夢を破られ外務省を去ります…。
外交官の職を失った彼の存在は、長年封じられてきました…。
そして、千畝があまり光を浴びないのは、世界的に有名な“ビザ発給の話”だけではありません…。
今なお明かされていない隠された真実を紐解けば、千畝とユダヤの関係。そして、とある国家の命運の分かれ目が見えてくることでしょう…。
そして、今まで何の関係もないように見えたものが繋がり合い、民さんの目の前に現れてくると思います。
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