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2019.8.22 ‟海賊と呼ばれた男”の知られざる秘密

昭和の高度成長を支えた力の源泉

「あなた方はアメリカが民主主義の国であると信じ、それを誇りにしておられる。しかし、私に言わせれば、『その民主主義は偽物である!』」

出光興産社長「出光佐三」は、アメリカ有力財閥の重役へのスピーチの場で、大胆にもこう言い放った。

昭和30年10月末…

敗戦後、強大な力を持つ国際石油カルテルが日本に上陸、市場の独占を狙っていた。

その圧力に負けた日本の石油業界の大半は、相次いで彼らと提携を結び、購入先も価格も限定され、消費者は不利益を被っていた。

唯一の民族資本会社となった出光は、日本の消費者を独占と搾取から守り、石油をもっと安く流通しなければならない、そのためにアメリカを手本とし、日本に近代的な大製油所を作り事業を拡大する。

社運を賭けた新たな構想の実現に向けて、佐三は渡米。

まずは石油の安定確保のため、世界的な鉄の都「ピッツバーグ」にある、有名財閥の石油会社の本社へと向かった。

歓迎のために開かれたパーティーの席上には、財閥関係の重役たちがずらりと並んでいた。

スピーチを求められた佐三は、日本の将来性を述べ、安心して投資を行うよう力説。

しかし、その直後…

「あなた方の民主主義は偽物である」と言い放った。

一斉にざわめく場内…、民主主義を国是とするアメリカ人たちは黙っておらず、皆がその理由を問いただした。

すかさず、佐三は答える。

「民主主義の基礎は人間が立派であり、互いに信頼し尊敬し合うところにあると思う。」

「これには依存あるまい。」

「ところで、私が貴国に来て驚いたことがある。それはどこの会社の入り口にもタイムレコーダーが備え付けてあり、それに事務所の中では、机が同じ方向に並べてあることだ。これくらい人間を信頼していない姿はあるまい。」

「器械で社員の時間を計り、上役が社員を後ろから監督しなければならないようなところに、どうして人間の信頼や尊厳があるというのか。一瞬たりとも目の離せないような信頼できぬ人間が、どうして真の民主主義を実行できるのか。」

「私はむしろ、それが不思議でならん。」

これにはほとんどの人が反論できず、会場は静まり返る。

しばらくして、参加者の一人が反問した。

「それならば、あなたの会社はどうなんだ!」

間髪入れずに、佐三は答える。

「私の会社にはタイムレコーダーも、いや、出勤簿さえない。机を同じ方向に並べて監督するなど、全く思いもつかんことである。互いが信頼し合っていて、どうしてそんなものが必要か私にはわからない…。」

そういって、出勤簿や馘首(クビ)、定年制や労働組合さえないことなど、45年前の創業当初から大切にしてきた、日本古来の道徳心を中心に据えた経営哲学。

システムや形式ばかりにこだわるのではなく、根本の人を最も大切にし、「和をもって団結する」という信念を持って会社を経営してきたことを力説した。

長いスピーチが終わると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

参加者は一斉に佐三のもとへと駆け寄り、代わるがわる握手を求めたのだった。

このスピーチが布石となり、のちに長期の原油供給という大商いを手にする。さらに、その足でシカゴへと向かった佐三は、大新鋭の製油所建設の案をまとめ上げ、帰国の途に着いた。

早速、佐三は製油所の建設に取り掛かる。

アメリカでは最低2年の歳月がかかる工事を10ケ月で完成させる、驚きの工期と計画を提示した時、誰も本気にしなかった。

「こんな乱暴な計画があるか。大工事をわずか一年足らずで完成とは…、おとぎ話じゃあるまいし、冗談もほどほどにしろ。」

関係者の間では、そんな言葉さえ囁かれた。

この大工事には、二百数十社、延べ55万人が関与。

佐三もこの建設に全力投球し、数十名の出光社員を現場の重要ポジションに配置。

昭和31年5月…

建設のスタートが切られると、もともと旧海軍の燃料庫として使われていた静かな廃墟は、たちまち戦場のような喧騒に包まれた。

1ケ月、2ヶ月、3ヶ月、廃墟はみるみる変貌していった。最初はまだ誰も信じていなかった。

しかし、予定の工期から半ばを過ぎた頃から、ある異変が起きる。

出光佐三をはじめ、出光社員たちの人間を尊重する一貫した姿勢…、一致団結の様子…。

関係業者の社員の眼から、10ケ月完成に対する不信の色が消え、むしろ彼ら自身がそれを目標に建設工事に挑み始めたのだ。

大工事の際、必ず持ち上がる業者間のいざこざも影を潜めた。

現場には和気あいあいとした空気が生まれ、それぞれの立場や利害を離れ、一つの目標を達成しようとする熱気と協力の姿が見られるようになっていた。

業者は全力を挙げて約束の納期を守った。

何一つ強制していないにも拘らず、工事人たちは日曜、祭日も現場に入り込み、ついには年末休みも返上して工事に挑んだ。

現場には常時5,6人の社員が派遣されていたが、何かあれば彼らは夜中でも飛び出して現場へ走った。

そして、この異変は日本の業者だけに起こったのではなく、なんとアメリカから来ていた技師たちの間でも起こっていた。

普段ならビジネスライフと割り切り、勤務時間が終われば、やりかけの仕事もピタリと止めるお国柄のアメリカ人なのに、日本人の働きぶりに触れ、この時ばかりは自分たちの習性や常識を忘れてしまったようだった。

そして、着工からわずか10ケ月後…。

徳山湾を望む広大な土地に、白銀の近代的大製油所が姿を現した。

原油処理能力は、当時のわが国最大の規模。

さらに、「これだけ統一した設計に基づく最新式の設備を持つ製油所は、国内はもちろん世界中にも例がない」と言われるほどだった。

火入れの際、アメリカから派遣されていた技師長は、感慨を込めてこう言った。

「アメリカでこれと同じ工場を建てるとしたら最低2年はかかる。それ以下では絶対できない。ヨーロッパその他の国では、どんなに短くても3年の工期が必要であろう。これが我々の常識だ。日本ではそれを10ケ月やり遂げた。これは全く世界的驚異である。」

さらに、2ケ月後に行われた竣工式では、世界一の石油メジャー「エッソ」の社長夫妻、「バンク・オブ・アメリカ」の副社長をはじめ、十数名の影響力のあるビジネスマンがアメリカから押し寄せた。

彼らは単に、ビジネスの祝辞を述べに来たわけではなく、最新式の製油所を見学するためでもなかった。

彼らが自分の眼で確かめたかったのは、おそらく徳山製油所の10ケ月完成という事実そのものでさえなかっただろう。

欧米ではとても不可能なことを可能にした不思議な力。その根源はどこにあるのか?

それこそが彼らの心を惹きつけ、はるばる日本に足を運ばせた最大の理由に違いなかった。

この徳山製油所の完成は、出光にとって進撃の合図となった。

保有する複数の巨大タンカーが7つの海を駆け巡り、豊富な産油国と石油消費大国・日本を結びつける。

焼け野原で事業継続の見通しすら立たなかった敗戦から25年…。昭和45年には、年商4,026億円を売り上げる規模へと成長。

唯一の民族資本の会社として、日本市場の独占を狙う石油メジャーの圧力を撥ね付け、消費者のもとへ安い石油を届けることで、戦後日本の高度成長を支えたのだった。

「アジアの奇跡」を起こした日本の力の源泉

敗戦から20年の時が経ち、日本の復興が見え始めた頃、欧米の学者たちは明治維新からわずか40年ほどで近代化を成し遂げ、日清・日露と2つの大戦に勝った日本の発展を「アジアの奇跡」と呼ぶようになりました。

この力は、戦後の高度成長でも大いに発揮されましたが、その日本の力の源泉について多くの研究者が関心を寄せ、解明を試みます。

日本人の研究者たちは、「欧米の近代文明受け入れ」「民主主義思想の成長」など、共通して欧米から輸入した制度や思想にその秘密があると考えました。

しかしそれとは逆に、欧米の研究者は日本古来の教育や思想にこそ、奇跡を解明する鍵があると考えました。

その結果、彼らが発見したのが、欧米の制度や思想を運営する日本人の意識の成熟――「和魂洋才」です。

日本古来の伝統、道徳など、優れた精神性を大事にしながら、欧米の制度や思想をただ盲目的に受け入れるのではなく、両者を咀嚼し、自分たちなりに運用・発展させていくこと――。

その和魂洋才の精神こそが、アジアの奇跡を形作った力の根底にあったのです。

敗戦後、日本の高度成長を支えた実業家の一人である出光佐三も、

「明治時代は、日本にとって最も偉大な力を発揮した時代である。国民は日本文化を堅持して、外国文化を咀嚼し吸収した。その結果、東洋の名もなき一孤島が、わずか50年にして世界の5大国の1つになった。この偉大なる国を作った力は、日本3000年の精神文明の力だ。」

このような話を社員に事あるごとに伝え、敗戦から二日後にはその要約を全社員に配ったほど。

特に明治期の日本人が強く持っていた和魂洋才の在り方を尊敬し、敗戦後の日本再建の手本としていたのです。

事実、日本が建国以来の大きな国難と大転換を迎えたのは「明治維新」でしたが、当時、江戸の厳しい教育を受け、強い日本精神を持った人たちが、次々に海外へ留学。

欧米の知識・文化を吸収、咀嚼し、日本文化と調和させることで近代化に成功。

有色人種の国で唯一、世界の5大国の仲間入りを果たしました。

次に、74年前の敗戦によって日本は焼け野原にされ、最貧国の1つに落ち込みました。

しかしこの時も、戦前の教育を受け、強い日本精神を知る人たちを中心に、

「戦争には負けたが、他のことでは負けない!」

と、主にアメリカの文化や民主主義の良いところを貪欲に吸収。

世界を驚かすような新しい製品を次々と世に送り出し、高度成長を実現。あっという間に世界2位の経済大国になりました。

欧米の制度や思想を知る人はたくさんありましたが、他の有色人種の国で、二度もこのような偉業を成し遂げたところは他にはありません。

つまり、単に欧米の制度や思想(洋才)だけを受け入れるのではなく、日本独自の強い精神性(和魂)を持ち運用していく。

それを自分たちなりに噛み砕き、取り入れていく和魂洋才こそが、日本だけが持つ力の根源だったのです。

しかし、バブルが崩壊してからというもの、あれほど勢いのあった日本人は、あらゆる分野において完全に自信を失い、まるで終戦直後の状況に戻ったかのよう…。

いったい、次に何をしたらいいか分からない…。と、われわれは

「グローバル化こそ、豊かな日本を再生してくれるものだ!」

「アメリカのマネジメント手法こそ、最も優れた経営手法だ!」

と、またも洋才を頼りました。

しかし、期待とは裏腹に全く改善の兆しが見えず……、失われた30年という長い経済の停滞へと突入…。

あらゆる施策をやればやるほど、ダメになっているようにさえ思います。

なぜ、今までと同じように上手くいかないのでしょうか?

ここでの問題は、欧米の制度や思想について、そのすべてを盲目的に受け入れてしまったこと…。

和魂を持たない人たちが、単に猿真似のように欧米の手法を運用しているだけに留まっているからです。

戦後、GHQは「二度と強い日本を見たくない」と、日本の強さの根源を徹底的に調べました。

日本人の強い精神性に強さの秘密があること。

そして、それが道徳をはじめとして家庭、学校での教育によって育まれていることを突き止めたGHQは、日本人が伝統的に育んできた精神が育たないよう、神道指令や修身の廃止をはじめとした教育改革など、和魂へと繋がる部分をすべて日本から奪い取ってしまったのです。

さらには、日本の官僚たちも加担し、このような教育は敗戦後から今までずっと続けられています。

現代では、戦前世代、そして戦前を生きた人たちから教育を受けた世代が、一線を退いたことで、和魂の無い人たちが政治家、企業、教育機関など、日本の中枢を占めるようになってしまいました。

そうして、かつての日本の経済成長を支えた日本経営方式は解体され、日本の強みである、モノを作る誇りや喜びは、利益至上主義の下で無残に切り捨てられ、学校でも会社でも徹底した競争による能力主義利益によって、利益を上げるためなら何でもする…。

かつてはほとんどなかった汚職や不祥事が蔓延…。そんな状態が、もう何十年も続いています。

システムというのは、それを動かす人ありき。

今の日本に本当に必要なことは、歴史が証明する通り、日本が育んできた独自の強い精神性、つまり和魂を持って洋才の優れた部分を取り入れる、自分たちに合う部分だけを日本ならではの文化と調和させ、上手にシステムを動かしていける人を、優れたリーダーを育てていくこと。

それでこそ、真に日本の成長が実現できるのではないでしょうか。

もし、この状態が今後も続くなら、先人たちが血の滲むような努力の末に築き上げ、世界中から尊敬を集める日本ブランドは、度重なる不祥事や日本企業の競争力低下によって、どんどん廃れてしまうかもしれません。

そして、和魂を失った日本は、今後も激しくなる一方のグローバル化の波にいとも簡単に飲み込まれ、経済の停滞はさらに深刻に…。中国だけでなく、いずれはインド、南米や東南アジアの発展途上国にさえ抜き去られ、世界の二流、三流国家に落ちぶれてしまうかもしれません。

すでにIT業界では、日本安い料金で丁寧に仕事をこなすため、世界の中で優秀な外注先として認知されていますが、いつしか他の分野でも世界の競争力ある国々に支配され、平均年収はどんどん下がり、外国人に顎で使われる……。

皆さんの子供や孫の世代には、彼らの下働きのような扱いを受け、苦しい生活を強いられる…、そんな貧しい日本を残すことになってしまうかもしれません。

しかし、もし、われわれ日本人がもう一度、和魂洋才の精神を取り戻し、強い日本精神を持った上で一致団結し、海外の優れた叡智を取り入れたなら、きっとこの国を新たなステージへと押し上げることができるでしょう。

明治日本で、生きるか死ぬかの覚悟で国を飛び出し、貪欲に海外の制度・思想を学んで欧米の侵略を見事に撥ね付けた先人たち。

さらに、昭和日本でも、敗戦後の焼け野原から高度成長を成し遂げた先人たちがいたように、令和を生きるわれわれも、この危機を逆にチャンスへと変え、もう一度、世界で輝く日本ブランドを取り戻すことができるはずです。

先人たちが築いてくれた、世界に誇る「日本人」ブランドを消さないためにも、子供や孫の世代にも誇りを持って生きられる国を残すためにも、今こそ私たち一人ひとりが目醒め、脈々と受け継がれる和魂洋才の精神を取り戻す時ではないかと思います。

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