志賀高原さーもん改

「スキマ」に込めた3つの願い

久しぶりにnoteを書きます。

長野県のローカルwebマガジン「Skima信州」を始めて8ヶ月が経ちました。今日はPVとか収益とか数字の話は置いておいて、私が改めて考えた「スキマ」について書かせてください。

ちょっとネガティブな話もします。それでもよければ。


「Skima信州」は「長野県のスキマを好きで埋める」

コンセプトは「長野県のスキマを好きで埋める」。有名観光地だけでなく、個人の主観で「好き!」と思えるものを丁寧に紹介します。

なぜ「スキマ」なのか。原点は何度か講演を拝聴した、ソトコト編集長の指出一正氏だと思います。

「マクロではなくミクロの視点で地域を見る」と指出さんはおっしゃっていました。「長野県の魅力は?」「松本の魅力は?」と主語を大きくしてしまうと、ぼんやりしたものしか見えてこない。

できるだけ主語を小さくして考えることで、解像度が上がっていくと。

なるほど!私が抱いていた違和感はこれだったのか!と随分納得したのを覚えています。


小さな「好き!」を重ねることしかできない

地元出身ではない私が長野県の魅力を語ると「(信州が)好きなんだね」と言われることが少なくありません。

けれど私は果たして信州が好きなのか?そもそも私は「好き!」と言えるほど信州のことを知っているのか?

モヤモヤした気持ちから「好きかは分かりません・・」と答えることもしばしば。


ただ「大岡から見る北アルプス」とか「売木村で見た月」とか「田沢温泉のぬる湯」とか「奥志賀高原の林道」とか「雪で閉ざされた白馬の青鬼神社」とか「鬼女紅葉伝説」とか、信州には私の好きなものがたくさんあります。

一つひとつは自信を持って「好き!」と言えました。だからもしメディアをやるならこの「好き!」をひたすら積み上げていきたい、と思いました。

「信州の魅力はこれ!」なんて大きな主語では言えないけれど、自信を持ってできることから始めようと。

これがスキマの「好き!」に込めた1つ目の願いです。


私は信州をまだ知らない

大きな主語で語れない理由に「私はまだ信州のことを何も知らない」と書きました。

これは恋愛における「相手のことをちょっと知ってきた時」に考えることと一緒です。好きになった相手のことを少しずつ知っていくうち、逆に「私はまだこの人のことを何も知らないんだな」と思ってしまうアレです。学問にもありがちですよね。

だからきっと私は少なくとも信州に来たばかりで「いや〜ええとこやな〜ほんま、長野めっちゃ好き」とか言っていた時よりは多くのことを見てきたはずなのです。

けど、けど、やっぱりまだダメ。行きたい場所は調べるほどたくさん出てくるし、行けども行けども追いつかない。

信州って実は四次元なのでは?なんなの?

だから「長野なんもないよね〜もう行くとこない」なんて言っている人を見ると「本気で言っているのか!」と三度見してしまうくらいには信州のことを知らないと思っているわけです。

信州の全てを知っているわけではないし、行きつくせる気もしないけれど、せめてスキマくらいは埋めたい!

これが、スキマに込めた2つ目の願いです。


1人じゃダメならみんなで埋めたい

当初長野県の観光サイトを1人でやるつもりでいました。理由は簡単。「1人の方が楽だから」です。ブログは書くのも修正するのもひとりで出来るけど、誰かとやるとなると共有に手間がかかりますよね。

けれど構想をツイートしたら、いいねって言ってくれる人がいて、一緒にやりたい!って人が連絡をくれました。

改めて振り返って見ると、私1人でやらなくて良かった!と思います。私には書けない記事ばかり。知識や技術もそうだけど、考えてきたこと、好きなこと、生まれた場所、やってきたことが違えばこれだけ出来上がる記事や選ぶテーマが異なってくるものだと感じます。

そもそも信州は広い。

県内でも車で5時間以上かかる場所もたくさんあって、泊まりがけで行くこともあります。それでもまだまだ「全市町村踏破」すら達成できていない編集長なんです。

さらに、わたしの趣味は偏っている。

自然は好きだけど登山もアウトドアもあまりしないし、滅多に外でご飯を食べないからグルメ記事も書けないし、全てのことを自信持って「好き!」なんて言えない。だからどうしても1人では書ける記事には限界があります。

誰かの記事がわたしの発見になる。

たくさんの人から考え方や価値観を学んで、わたしは大きく成長できた気がします。ライターをしてくれた全ての方々も、スキマを通して何か得るものがあったなら嬉しいな。

スキマは1人の好き!じゃ埋められない。だからみんなで埋めたい。これがスキマに込めた最後の願いです。めっちゃ恥ずかしいから声に出しては言えないけれど。


キャッチフレーズ「地元を旅する」に対する黒〜い気持ち

最後に1つ与太話。

少しネガティブな話をすると、私には「生まれ育ったふるさと(と言える場所)がない」という小さなコンプレックスがありました。

だから少し前までは「地元をディスる」人が嫌で「魅力ある場所なのに気づかないのは、そういう視点で見ていないだけだ」と思っていました。

「信州を知ろうともしないで、卒業旅行の度にディズニーランドへ行く若者へのアンチテーゼ」のつもりでごしゅメモに観光記事を書き始めたのが始まりです。(フォローしておくと、ディズニーランドの細かい工夫とか、非日常感の演出とか、すごく勉強になるし好きです。絶叫もホラーも苦手な私でも楽しめる遊園地!)


当時のキャッチフレーズは「地元を旅する」。

何もないと思っていた地元でも、旅する気持ちで見れば新しい魅力に気づけるはず!

それは住んでいる私も同じ。移住して結構な年月が経ちますが、今でも旅人目線で観光気分を大切にしています。

当初はコンプレックスから黒い気持ちで始めた観光記事の執筆。今でも生まれ育った地元の観光資源をディスる人を見ても、愛している人を見ても複雑な感情が生まれます。だいたいは「羨ましいなあ」とかそんな気持ち。

あとは「ソトモノのくせに」ってコンプレックスを一人で勝手に抱いている気もしています。内側から地元の魅力を語ることと、知らない奴がちょろっと観光して勝手に紹介すること。

私は心が狭いので自分がなんども訪れた場所を、一度訪れた(または一度も訪れていない)人が「この場所のオススメはこれ!」なんて紹介しているのを見ると「なんだお前!何にも知らないくせに!」なんて嫌な気持ちになることもあるのです。

でもそれって私も同じじゃない?1回だけ観光して紹介している場所なんていくらでもあるし、何度訪れても生まれ育った人には敵わない。誰かに同じようなこと、思われているんじゃない?

・・・・・。

うん、これに関する答えはまだ出ていないのでこの辺にしておきます。書いていて凹みました。


私にとって、言い訳でもあるのかもしれません。「旅する」って目線は「知らない」ってことだから。

「知らない」って0の状態から「何かを知る」ことで生まれる感動や発見を記事にする。上から目線で教えるのではなく、友達にする土産話のような、そんな記事が書けたらいいな。


少し時間が経ってまとめられるかと思いましたが、相変わらず思考がとっちらかったままでした。

今度「スキマから地域を捉える」というテーマでお話する機会があり、スライド準備をするため頭の中を整理しているところです。

地域や情報発信に関するお仕事をいただくことが増えて、本当に嬉しく思っています。引き続き募集中です!笑


以上。スキマに込めた3つの願いと、地元を旅するに込められた黒〜い気持ちのお話でした!

最後までお読みいただき、ありがとうございます。よろしければフォローやいいねなど、お願いします!