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IB校に入って感じた中学との「違い」

私が地元の公立中学校からIB校に入って、1年生の時(IBは2年間のプログラムで、私の学校では2年生の頃から始まるので、この頃はまだPre‐DPでした)に感じた違いを書きたいと思います。この文章は、1年生の時に書き残していたものを参考に書いているので、かなり当時の自分の心情を反映していると思います。

まず感じた大きな違いは、黙って説明を聞いたり、文章を読んだりする時間がないことです。高校に入って初めのほうは、発言をする際に「こんなつまらないことを言っても良いのだろうか」「みんなもこれくらい当たり前に気付いているのではないか(だからわざわざ発表するようなことではないのではないか)」などと消極的な気持ちになっていましたが、やがて思いついたことは恥をかくの覚悟でどんどん言ってしまおうと思うようになりました。

これは、せっかくみんなといる時間なのだから、自分の発見をできるだけ言って(下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるといいますし!)、一人では思いつかないような客観的な意見やアドバイス、新発見をもらおうと積極的になろうと努力したからです。そのうちに、「恥」に思うことなどないということに気づき、(理屈ではわかっていても、実感するまでは「恥」という考えを捨てることはできなかった。)自然にまわりの人と情報を共有したいという思いが高まってきました。

2つ目は、一人で考える時間とみんなで考える時間が両方あることです。中学までの授業では、たまに自分の意見を書くようなワークがあっても、一人で考える時間をとってから周りの人と意見交換をするというものでした。これでは、「意見交換」していると見せかけて、お互いが自分の書いた文を読みあっているだけの一方通行なものだったと思います。

たしかに、自分と違う意見や見方を理解しようとしたり、自分の思いを伝わるように説明したりにすることはかなりのエネルギーを使います。実際に、毎日すべての授業でこのようなことをやっていると、学びが多く、受け身ではないのですごく楽しいですが、その分疲れます。だからこそ、安心して発言できるクラスの雰囲気というのは貴重だなと改めて思いました。この安心感は、クラスメイト一人ひとりとの信頼関係や(「批判的」「反論」とは違う、「拒絶」のような意味合いの)否定をされないこと、理解しようとしてくれる(理解できない部分を質問してくれるので、一方通行にならない)ことからきていると思います。もちろんうまく伝わらないこともあるし、根本の思想が違い表面的な部分しか理解できない/されないこともありますが、理解しようという気持ちが重要だと感じるようになりました。

入学当初は「今まで違う」ことにストレスを感じることもありましたが、それは初めだけで、高校に入ってからの方が自分の心の赴くままに学ぶことができて、IBを選んで本当に良かったと思っています。


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