人に見えないこだわりをやめたことで制作効率が跳ね上がったという話

ダナンからホイアンへ向かっています、取材ツアー最終日。実は二週間前に行ったばかりなんだけど、旧市街の主要スポットを回れるチケットは一枚で5箇所まで。そして、ぜんぶで15〜20はあるので、前回と違うところに行ける分にはうれしいこと。

話はまるっと変わるけど、最近は文章を書いたり動画を編集するときに、「こだわらないこと」を意識するようになった。もともと自分は自分を凝り性だと思っていて、でもその中には本当にどうでもいいこと…たとえば記事なら改行を右端できっちり整えるとか、そういうところまで気にしてしまう。それは今でもそうだったりするんだけど、あくまで自分のパソコンで見た場合の話であり、今やネットはスマホユーザーの方が多い状況なのにそれって本当に意味ない。でも自分が見たときに妙に完成度が高まった気がするからやってしまう。くだらない錯覚。

そこで動画編集という新しい作業をはじめる上で、「これだけ次々とやることを増やしてるといよいよムダに凝っていられねぇぞ」と思い、意識的にこだわりをひとつひとつ潰していくことにした。それまでにテストでつくってきたものは案の定、動画の素材のひとつひとつを0.1秒単位で揃えたりしてしまっていて。でも、見ている人からしたらそんな「こだわり」なんてどうでもいい上に、まず気づかれないし、そもそもそんな数字の切りの良さを気にしてもただの自己満足にすぎない。むしろ素材によっては「ちょうどいい尺」が存在する訳で、それを無視しているあたり、質を上げるという点では逆行する。

そう思って、素材の尺の長さを適当に、「これくらいでまぁいいか」というどんぶり勘定的なつくり方にしてみたら、0.1秒単位での調整も不要になって、タイムバーの細かい微調整も要らなくなってイライラからも解放されて、劇的に制作時間が減った。あぁ、早くやっておけばよかったなと。これで結果として世に出せるものの数は増えるし、数が増えれば質も押し上げられることはままある話であるし。

良いこだわりを守りながら、悪いこだわりをつぶす。今まで増やすことはあっても減らすことはしてこなかったので、もしかしたらここには伸びしろがたくさん眠っているかもしれない。もちろん、捨てちゃいけないこだわりというものはあるだろうし、0.1秒単位の尺調整もものによっては大事だろうけど、とにかく数が大切な数撃つタイプのコンテンツにおいては、ドシドシ捨てていくべきだと思った。

そういえば、音声の形式のMP3は、人には聴き取れない音(情報)を極限まで削ってあれだけ圧縮していると聞いたことがある。自分にしか分からない自己満足的なこだわりをやめて制作効率を高めるということは、それと少し、似ているのかもしれない。

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\小吉/
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