どのみち社会は分断します

「分断」という言葉を津田大介氏が使っていた。社会のさまざまな層が、お互いの価値観を理解することなく、コミュニティの分断が進む。さしずめ、そんな意味だと思う。

ちょっと前に、有名な若い学者もNHKで使っていて、自分もなんとなく気がかりだったモヤモヤにスポリと当てはまり、それを自分の記事でも使ったりした。ただ、こうしてテレビで数人が使っているあたりでもう自分が使うのはやめよう。あまのじゃくっちゃそうも見えると思うんだけど、なにより、いろんな人が使えば使うほど「かえって分断が進む」と思ったからだ。

一部の人たちだけで分かる言葉を使って、「みんなお互いの価値観を敬って生きようよ」というけど、そこで行動を起こせるのは体力も余裕もある人だけ。そういう言葉を使えば使うほど、そうでない人たちは「意味分からん」となって、かえって分断が進む。聞きかじっている程度では、トランプ大統領の誕生だってそんな「分断」による「多数決」があったとしか思えない。

賢いことを言っても賢い人(本当に賢いかどうかは知らんが)しか付いていかない。これまでは棲み分けされていた。会社だったり、業界だったり、購読している雑誌だったり新聞だったりと、あらゆる形で。それをインターネットがごちゃまぜにしたから壁が壊れてヒステリックがたびたび起こっている。人は自分と異形の者が隣にいて日常を送れるほどおしとやかではない。

最近は、Twiterを開けば、だいたい誰かが誰かを晒していて、誰かが金の話ばかりしている。どいつもこいつも知るかと思いながら、イライラしながらポチポチと「表示を減らす」をクリック。あれもべつに自分がフォローしている人ではなく、関連度が高いと言ってTwiterが引っ張ってきたものだ。棲み分けされていた人を、Twiterがごちゃまぜにした結果、俺までイライラしている。いやほんと、何してんだ俺。大切な寿命を何に使っているんだ。

これは時間が解決するのか、教育が解決するのか、ほかのなにかか。でも、一度混ざりあった以上は再びそれが簡単に棲み分けされると思えない。オンラインサロンや有料コンテンツは、その流れを受けて生まれたものの一端の一端だと思ってるけど、やっぱり人は以前の時代と比べて多様性を受け入れられるよう価値観を変えていかなければならないんだと思う。ある程度は。

表示を減らすじゃなくてふつうにフォロー外せばいいか。誰に何を気遣ってるんだ。一体。

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\末吉/
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ネルソン水嶋@サルニークリエイション

海外ZINEというサイトの編集長、たまにライター。2011年に旅先で誘われベトナム移住、現地ブログ・べとまる開始。ダチョウに乗って走ったりドリアンを装備したりと人は羨まないが平和な人生送ってます。ライブドアブログ奨学金、デイリーポータルZ新人賞2014など受賞。@のうしろは屋号。
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