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自分に正直なコーヒーほど、誰かの心に響く飲み物になるかもしんない。

先日、誰かのブログをのぞいてみたら
書いてあるネタが真似したくなる内容だった。

著者は真似していいというから
真似してみたよ楽しかった、本人に送ると・・

「真似するのはいいけど、真似しただけだと価値はないし。
センスがないと意味がないからね。
取りあずやってみたあとに、物語はついてくるからやってみなよ」

遠回しに伝えられた。


まったくもう。

真似していいのかよくないのか
どっちやねん!って突っ込んじゃった。

コーヒーの淹れ方もそうなんだけど、
「これは極めたい人だけ真似してください」なんて。

真似していいのか、いけないのかどっちやねん!


はっはーん、なるほど。

わたしの一面しかみてないなあ。


もう少し若いころのわたしだったら、
ついつい相手に「ちょっとあなた、わたしの何を知ってるのよ!」

なんて言い返したくなる気持ちが
強くなってしまったかもしれないけど。

ちいさな苛立ちは思ったより大きくならず、
あーこれネタにしちゃおっと思えてしまったことに、
ちょっとだけ驚きました。

ツイッターですし、一面だけしか見られない。

わかってる、わかってるよー。


気になったツイッターを見たら
その人がどのように他人に対して発言しているか。

またどんな言葉づかいで日々を語っているか。

それからどんな視点で写真をアップしているかまで調べる。


わたしような「人間オタク」が
そうそう多くないことは知っている。

たまにいるけど、思ったほどそんなに多くないって話。


コーヒーブログで良く出てくる自分だけの価値観で
「イメージを伝えようとするひと」には慣れている。

わたしはどこまでいっても、おたくだからね。

なんでこんな価値観するんだろって思ったら、
とことん、調べる。


そういや、
以前に共感できないけど、
知っておいてよかった価値観のひとつがある。

とある特殊な認知症専門フロアで働いてた時に、
背が高くて、元銀行員の偉い人で、
結構ハンサムなひとが入ってきた時の話。

その人、ばっちり認知症だったんだけど。

奥さんはご近所に噂されたり
施設にいらたら入れたで大変だったみたい。

「どうして足腰丈夫なのに家に置いとかないんだ」
みたいに言われたとか。

わかるひとはわかるかな、
足腰丈夫な動き回る攻撃的な認知症ほどたち悪いです。

わたしは野放しにされた犯罪予備軍という視点で、
冷静に対処してました。

だから決してお涙ちょうだいで
触れ合ったりなどしない。

わたしたちを腹の中心を狙って
わざと力の限り蹴ったり。

痛いところをわざと狙って皮膚をえぐるように
爪でかき切ったりするんでね。


まあ、施設に入った当初は
外面の良さ前回だったわけですが。

どんどん認知症が進行して、
どんどん家の中で暴れていた本性が出てきた。

わたしはどんな視点で世界を見てるんだろうって
そんなにイライラするのか気になってしかたがなくて。

ちょっとこの価値観に向き合ってみようと、
わざとイライラしているときに立ち寄って。


わたしの細い腕に痕が残るまで
強くぎりぎり握られながら、聞いてみた。

「どうしたんですか?」

「俺は怒ってるんだ、わからないのか」

「どうして怒ってるんですか?」

「どうしてって、イライラするから怒ってるんだ」

「なら、どうして叩いたりするんですか?」

「だって。だって。イライラしたら叩くのは当然だろ」


この時に、パッと頭の中で広がった。

奥さんが家の中で叩かれていたかもしれない風景、
一度も面会に来ない娘さんを叱咤して
殴っていたかもしれない風景が。


イライラして殴るのは当然の環境に育って、
その価値観のまま、家庭を作って殴って。

結局その人は、自分の部屋でつまずいて。
この世に帰らぬ人となりました

この価値観、知ってよかったと思う。

こんなことばっかりしてたら、
体がいくつあっても足りなくて。

まして、握力が小学生並みのわたしが
覚えたての沖縄空手を屈して、
腕抜けの術を使っても、時間が足りませんよ。


でも知らない価値観を知るのは面白い、
知っているだけで自信につながるし、心に余裕も出る。



誰かが言ってたけど
ツイッターは人生を生まれ変わって何回繰り返しても
知らないような価値観を知れるからいいって。

SNSは使いようによっては、そういう時に役立つ。


もしかしたら、誰かにたくさん言い訳するときって
この人生において自信があんまりないときかも。

自信が少し弱ってる姿や
自信をつけようとしている人って可愛いけどね。

これがわたしが生きてきた証ですっていう、
わかりやすく見える三次元で見える形がない人ほど
そうなりやすい。


さっきの攻撃的な認知症の人は、
もしかしたら銀行員という肩書を失って、
なんにもなくなって。

他に何が残ってるとしたら、
相手を屈服できるほどの腕力と
奥さんの心を独り占めできることだったかもしれないね。


もしもあなたが、
あなたのコーヒー論を突然批判されたとして。

あなたの一面をちらっと見ただけで判断されたしたら、
思い出してほしいんだ。

「ああ、あの人は自信がないんだな」って。


今の自分のコーヒーに正直になろう。
素直な人は可愛いよ。

そこから出てくる正直なコーヒーは
誰かの心を動かすよ。


わたしもまだまだ、自信がないよ。

そこまで味も安定しないし。

この世界にフライパン・バリスタとして
影響力のあるものなんて何にも残してない(笑)


だからいろんな価値観を吸収して知り合って、
直接話をする機会を作る毎日。

そんな自分を認めてしまうと
割と人生を楽に生きられます。


あなたが揺るがない強い自信つけたいするならば。

あなたのことを何も知らなくても、
言葉以上のものを残せたり
伝えられるものを見つけてみてね。


そんなわたしには
整体や施術という12年以上の経験が自信の糧になってる。

背の低い細いわたしを見て、
お客さんがあからさまに嫌な顔して
「ほんとにできるの?」なんて顔に日々向き合ってる。

でも、丁寧に、技術を提供すると、

「まあ・・・その・・・思ったより、よかったよ」

なんて、つい素直な言葉がポロリと出てくる。


技術は高めたほうがいい、
でもそれは相手を屈服させるためじゃない。

あなたの良さを知る機会を増やすためにってこと。

コーヒーの技術を高めつつ。

自信をつけつつ。

個性的で美味しいコーヒーが
この世界にあふれることを願ってるし、
そういうコーヒーに会うたびに、いちいち驚いていたい。

個性的なコーヒーバリスタたちが自信をつけて出世して、
コーヒーテーブルにカップが運ばれてくるのを望んでる。

ではまた。

こんな記事作ってみました。

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