本当の探偵は姿を現さない

私の事務所には一日に数人が訪れるが、その誰もが幸せそうな顔をしていない。
もっとも、探偵事務所に笑顔で訪れる者は少ない。出ていく時となれば、その数はほとんどゼロに近い。

ところがその日の依頼人は様子が違った。
喪服の若い女で、上客を相手にするような笑みを絶やさなかった。左手の薬指には質素な指輪があった。彼女は携えたハンドバックから紙幣の束を5つ出し、とびきりの笑顔で私にこう言った。
「早急に夫を探し出してほしいのです。これは前金です。夫と引き換えに、残り半分を差し上げます」
私は札束を前にしばらく逡巡したが、すぐに意を決めた。札束と身の危険を天秤にかけ、誘惑に勝てる人間はそういない。
「なるほど。ただ事ではないようですね」
私は立ち上がり、窓のブラインドを閉めた。

「当事務所は浮気と身辺の調査が専門ですが、時たま厄介そうな依頼が舞い込んでくることもある。そういうときには“助手”が対応することになっています。そして概ねはその助手が見事に事件を片付けてくれます」
「そうなんですか」
彼女の口角がさらに深く切れ込んだ。
「ならば早くその助手を連れてきてください。ここにはいらっしゃらないのですか?」
「まあまあ。逆にその助手が現れない場合、事態はそれほど深刻ではないということです。あなたが本当に差し迫った状況にあるなら、今に彼がそこの扉をノックすることでしょう」

そう言い終わらないうちに、事務所のブザーがなった。扉を開けると郵便配達員がいた。私が書留にサインをすると、配達員は差出人のない薄い封筒をよこした。

私はドアを閉め、封筒を手で破いた。中にはA4用紙が一枚だけあった。彼女は待ちきれないという笑顔をこちらに向ける。
「助手の方ではないのですか。解決は難しそうですか?」
私はA4用紙を広げて目を通した。
「なるほど、確かに解決は難しそうだ」

A4用紙には小さな文字で一行だけプリントされていた。

「笑顔の女に近づくな」

【続く】

毎度どうも