フェイド・トゥ・ホワイト 2/6

㈱ホワイト清掃

昼の社員食堂は混んでいた。
私は、まだスーツを着慣れていない新入社員が陣取っている、明るい窓際の席に向かっていく。
入社して半年がたった今でも、今年の同期はきまってこの位置でランチを取っていた。

「あ、ノルコ、きたきた。おそいよ〜」
他のみんなは既に思い思いの昼食に箸をつけている。
「ごめんごめん、ちょっとなかなか抜けれなくて」
私は朝コンビニで買ったジュースをカバンから取り出す。朝食にしようと思っていたが、結局そのまま手を付けれなかった。
「…なにそれ。野菜ジュース?それだけ?ノルコまさかダイエットしてんの?」
「そうなの、ちょっと食欲あんまりなくて」

ダイエットというのは嘘だ。だが食欲が無いのは本当だ。

昨日、定時の少し前に地下で起きたことはまだ誰にも話していない。私、実は数時間前に人を殺そうとしたんだよねー、失敗したんだけど、ハハ、などとはとても言えなかった。オフィスを出てから借り上げアパートに着くまでの数十分、私はまともな表情を保てていたのだろうか。家に帰ってドアの鍵をかけるとその場にへたりこみ、そのまましばらく声も出さずに涙を流した。他の誰でもない、私がかわいそうだったからだ。

「え、なに、まさかノルコも行ったの?地下」

唯一女子の同期のユミナが呟いた。あ〜そんな「昨日のドラマ見た?」みたいな感じで話しちゃうんだ?悩んでいた自分がちょっとバカらしくなってきた。
ユミナはそんな私に目もくれずに「やばいよね〜」と続ける。

「私パニクっちゃって、無理です無理ですって言って、受け取らなかったもん。そしたら、まあ少しずつ慣れてこうって、これ渡されたの。ほら」

おいおいまさかこんなところでチャカですかと顛末を伺うと、ユミナはバッグからかなり太いロープを取り出した。10センチほどにカットされていて、持ち運びに最適なサイズ感だ。しかし、頑丈そうな存在感は、短くても異様なものがある。

「あ、ユミナ、ロープやったんや。アタリやん」

同期では2番目にイケメンの相田が入ってくる。

「いや俺拳銃やってさ、かっこいい思ってんけど意外と重いし、反動もでかくて弾外しちゃったし、えらい恥かいたんよね」
みんな最初は外すもんなのかな。私は少し安心した。
「相田もそうだったんだ。あたしも拳銃だった」
「ノルコも?女なのに?」
「女とかあんま関係ないんじゃない?私も外したよ。そんでどうしたの?怒られたりした?」
「ああ、そのあと先輩がしゃーないゆうて俺の代わりに撃ってくれてんよ。頼りになるよな先輩ってのは。3,4年でそんなに差がつくんかいと思うわ」

相田は目の前で人が死んでも次の日にカツカレー定食をいけるんだ、とは言わなかった。

「え?なになに?みんな銃だったの?私ロープよ?これで吊せって。ひどくない?なにこれ差別?わたしも銃がよかったなー」
ユミナはちょっと空気が読めないところがあるし、もっというとこいつの次の行動もなかなか読めないところがある。担当の先輩は大変だろうな。

「なんか他にも電気のスイッチを押すとか、毒飲ますとかいろいろあるらしいで」
「えーそっちのが絶対楽じゃん。ロープなんて前時代すぎでしょ」
「いやそれでもロープはまだマシな方や言うてたで。楽そうに見えるほど、キツイって。俺も意味はよくわかってないねんけどな」
「ほんとー?マジ無理なんだけど。これ本当にウチでやんなきゃいけないのかな?外注とかすれば良くない?今どき肉体労働ってヤバい感じするな〜」

私は当たり前のように状況を飲み込んでいる二人についていけず、つい言ってしまった。

「いやいや、人殺し自体がヤバイでしょ」

社員食堂は一瞬静まり返った。ように感じた。

皿を洗っているおばさんまでがこちらを見た気がした。
私が自分の発言に後悔する間もなく、その沈黙はすぐに終わって、普通の時間が流れ出した。私は、今なんか一瞬変じゃなかった?と言おうと口を開けた瞬間に、寒気のようなものが背中に走り、声を発することができなかった。

ユミナは私の耳元に寄って小声で制する。
「ちょっと!極秘任務だったらどうすんの!あんま大きい声でしゃべんないほうがいいって!」
私は少し震えながら、ユミナの案に同意し、うなずく。極秘任務とかではないと思うけど。
相田も異変を察してキョロキョロしたが、首を傾げながらすぐにカツカレーに戻る。
「まあ、会社もたくさんあれば仕事もたくさんあるってことやろ。俺は就活で100社落ちたし、拾ってくれたホワイト清掃には一生ついてくって決めたからな」
相田は口を動かしながら続ける。
「なんせこんなホワイト企業、めったにあらへんからな」

確かにホワイト清掃はホワイト企業だ。平均残業時間が2時間を切っているという噂は本当で、どんな上司も基本的には定時で上がる。先輩たちのフォローもしっかりしていてお仕着せのマンツーマン教育などではない。しっかりその人の特性を活かした仕事ができるように配属も決められるおかげか、誰かが理不尽な目にあっているところを一度も見たことがない。会社の文句を言う人は誰もいない。
しかし、やっていること自体が人道を踏み外していたらどうだろう。
私は相田の言うホワイト企業という評価に、素直に同意できなかった。

「でも、ねえ。いくら仕事って言ったって、これはちょっと」
と言って指で銃をつくって自分の頭につきるける。
「リテラシーぶっとばしすぎじゃない?」

「ノルコはそういうとこカタイよね」
ユミナは小さな弁当をつつく箸を一旦止める。
「時代は進歩してんだよ?手紙はメールに、会議はテレビに。紙なんか今後使わなくなるし出社だって必要なくなるかもしれないよ?」
ほんとにこの子はどの立場から物を言っているのかよくわからない。
「どんな事も仕事の一環だって。私達は潔く受け入れるまでよ。ロープは勘弁だけどね。あー、あたしは電気とか毒がいいなあ」

相田も皿に残ったカレーをかき集めながら言う。
「そうやで。この不況の時代に仕事させてもらえるだけありがたいんやからな。それをまず忘れたらあかん。日本の法律よりも会社の規律。会社の規律よりもお客様の笑顔、やろ?」
相田は得意げに社訓を唱えるが、私もユミナも少し白けている。そういうマジな感じはちょっとキツいよね、ハハ、と私達が呆れているその雰囲気を察して、相田は照れながら付け加える。
「いや、そういう気持ちで仕事したほうが、文句言いながらやるより得やんか」

私は、「たしかにね」といいながら残っていたジュースを飲み干し、紙パックをバラしてきれいに畳み込む。
それをゴミ箱に捨ててしまうと手持ち無沙汰になった。
ユミナが弁当を少しずつ食べているのを眺めていたら、少しおなかが鳴った気がした。

【続く】

毎度どうも