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70年一緒にいるということ③

思ったより長くなってしまったけれど、とりあえず書いちゃう。で、前回の続き

先生を見送って部屋に戻ると、レンタルベットの人がベットやマットの使い方・注意点を説明してくれると言う。話を聞こうとしたら、急に祖母が呻くような声を出したので、ちょっと待ってもらって近くによると、体を起こしてほしいと言う。今度はちゃんとリクライニングで上半身を起こす。何をしてほしいのか、言葉がうまく聞き取れない。すると母が急に、おじちゃん?と言った。え、おじちゃん?一瞬、部屋の空気が張り詰める。そりゃあそうだ、だってこの部屋にはいま、おじちゃんと呼べるような男性は誰もいない。レンタルベットの人たち、驚かせてすみません。

でも祖母の反応をみると、どうやらそうみたいだ。おじちゃん、つまり祖母の亡くなった配偶者を呼んでいる。そう言われればそう聞こえるけれども・・・と言う程度の不明瞭な言葉だけれど、でも確かにそう言っている。え、おじちゃんが来てるの、いま?いま?レンタル会社の方、3名は完全に息をひそめていて、その様子が可笑しいやら申し訳ないやらなのだけれど、私も母も必死すぎて、祖母にしかフォーカスできない。ごめんなさい。

祖母は繰り返しおじちゃん、おじちゃん、と呼び続けていて、母がおじちゃんが来たの?と聞くと目で頷く。リアクションしているのは瞼だけなのに、やたら力強い。そうか、おじちゃん、来たのかー。母がおじちゃん、笑ってるの?と聞くと、祖母はまたまぶたで返事をする。力強い。呼ぶ時は声を出すけれど、返事はまぶた。なんだかかわいい。おじちゃん、笑いながら会いに来たのか。そして祖母はそれが嬉しいのだ、と思ったら涙が出そうになってぐっとこらえる。泣くな、ここで泣いたらベットの人たちがもっと困ってしまうじゃないの。

祖母はひとしきり祖父を呼んで、母と話をすると落ち着いてまた寝てしまった。本当に寝るのが速い。あっという間に吸い込まれていく。その間に私は急いでベットの使用法を聞き、書類にサインしてベットの方々にお引き取り願う。作業自体はややこしい現場じゃないはずなのに、けっこう時間がかかってしまってごめんなさい。そしてなんだか微妙な空気を味わわせてしまってすみません。

ベットの方が帰ったら、入れ替わるようにケアをお願いしている看護士さんが二人、来てくれた。今週の月曜に申請した時点では特に必要はなかったけれど、定期的に来てもらっていた方がいいというので、予定していたのだ。なにかあった方がいいかと爪をきれいにして欲しいとお願いしていたのだけれど、今の祖母は疲れている。

もしかしたら今日の夜が山場になるかもしれない(祖父がそういう流れだった)と一瞬、思ったけれど、もしそうなってももういいや、と思った。いま、祖母に対してしてもらいたいことは何もない。この前は爪きりを頼みはしたけれど、爪は毎回、割れないかなーとちょっとビビりながら私が切っているし、充分だ。

それで、看護士さんとはちょっとだけ話をして帰ってもらう。いろいろが重なって朝からずっと賑やかだったせいか、誰もいなくなると鳥の声が聞こえてきて、きれいな日だなあと思った。開けた窓から、父が通りすがりのおじちゃんと話しているらしい声が遠くに聞こえてくる。西日が入る部屋なのだけれど、ちょうど少しずつ日が入ってくる時間になって、明るくてのんびりしていて静かで、本当に気持ちがいいと思った。

また祖母が呻いた。顔を向けている方に行って、目を合わせる。言葉がうまく聞き取れないので、なに?と聞くと、どうやら母を呼んでいるようだ。仕草が明らかに私向きじゃない。すぐそばにいた母に、お母さん、おばちゃんが呼んでるみたい、と伝える。母は少し変な顔をした。仲が悪いわけではないけれど、それなりに確執のある母娘。この数週間で母は祖母との間にあった様々をすごく自然な流れで次々クリアにしていったけれど、面と向かって、という時にそんな感じでもないでしょ風に身構えるのは、長年の癖みたいなものだ。

母が、おばちゃん、なに?と顔をのぞき込むと、祖母は母に手を伸ばして、おきに、おきに、と言った。言葉のような、音のような。でも分かる。おきに、はうちの方言だ。つかむように伸ばした手が、子どもみたいな仕草だなあと思った。母は最初、え?なに?と聞き返していたけれど、おきに=ありがとう。祖母は、母にお礼を言っている。祖父の時と同じ。目の前に呼んで直接、お礼を言いたいんだ。

母が最初、聞き取れなかったのは祖母のお礼を聞きたくなかったからで、祖父の時のように驚いて受けとめきれずに茶化しちゃうかと思ったけれど、この時の母は素直にそんなのいいよー、と受け止めていた。祖母は力強い目で何度か、おきに、と繰り返した後に2回だけ、わりと明瞭な言い方で、もういい、もういい、と言って手を振った。

その場を見ていない方がいいような気がして、私は隣の部屋に移したこれまでのベットの上の布団を片付けていたのだけれど、母が祖母に「喉が渇いた?お水を飲む?」と聞いてスポンジで水を含ませているらしい気配を背中で聞いた。もう少し、もう少し、と3回くらい飲んだのか。もういいの?と言っている。あれ、あの水はもしかして、と思ったのだけれど、何も言えなかった。

祖母の容態が急変、亡くなったのがそれから一時間ほど後のことだった。詳細は割愛。仲が悪いわけではなかったけれど、祖母との間にそれなりの確執がなかったわけではない母が、弱くなっていく祖母に小さい悲鳴のような声をあげて、目を覚ましてと呼んでいるのをみて初めて、私は母の祖母への想いに触れた気がした。わりとクールな性格の人だから祖母が亡くなってもけっこう平気なのかもしれないと思っていたけれど、この時の母の様子は、全然そうじゃなかった。こんなに大きな声を出して涙を流して慌てている母を、私は見たことがなかった。

それで初めて気がついた。

母は四姉妹の次女で婿を迎えて家を継いだ。一度くらいは家を離れたくて他県に進学したかったらしいけれどそれも叶わず、ずっとこの家で暮らしてきた。私や兄弟のところに頻繁に泊まりに出かけているので、ここしか知らないわけじゃないけれど、でも生まれてからずっとこの家で両親と一緒だった。祖母が95歳まで生きたから、生まれてきてから約70年を、母は実母と共に過ごした。祖母の命日は、そんな母の生活が終わった日でもある。

70年。

平気なわけがない。どんなにクールでも、思うことあっても、大往生でできることはやったと思えたとしても、この世に生を受けてからずっと一緒に暮らして、恐らく一番長く深く多くの喜怒哀楽を共にしてきた人がいなくなって、これまでと同じでいられるはずがない。泣いたり、声を上げたりするのは、当たり前のことなんだ。

70年という年月を誰かと一緒に過ごしただけでもすごいけれど、それが自分を世に産み出した人であれば、それはもう、その人にしか分からない世界があるわけで。それが同性で母親であればそこに渦巻いたものは別格であったはずで。表面的なことばかりに気をとられて気がつかなかったけれど、最期まで自分の意志で生きた祖母が残したものは、私なんかが想像するには到底、及びもしないものだった。おかしな話だけれど、亡くなった祖母から、私が一番、最初に感じたのは、そんなことだった。70年、という年月の重み。人生ということ。人が生きるってすごいことだ、と肚の底から思った。穏やかで笑っているような顔の祖母を見て、この人はすごいと思った。

#70年 #生きるということ #いのちがいのちに残すもの


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