見出し画像

都現美の「デイヴィッド・ホックニー展」に大興奮log

東京都現代美術館で開催している「デイヴィッド・ホックニー展」に行ってきました。
東京で暮らし始めてからは年に5〜6回程度展覧会に出かけていますが、これまでで一番高揚した展覧会でした。

ホックニーのことを知ったのは、新居のインテリアを考えている春のこと。
自室兼在宅ワーク部屋になにか絵を飾りたいなと思っていて、抽象画を中心に候補を探していました。
その中で一番気に入ったのがこのプールサイドの絵です。

こういうのブログに貼っていいんだっけ?

仕事で気がめいったときにもちょっと元気になれそうな色合い、小さな部屋が明るくなるようなまぶしい光、そしてどこか白昼夢のような世界観が一目見て大好きになりました。

調べてみると、7月から東京都現代美術館でホックニーとしては国内26年ぶりの大規模展覧会が開かれるそう。
これは運命!と言わんばかりに楽しみに楽しみにしていました。
しかし、会期が始まった7月から体調が不安定にはってしまったし、酷暑の中駅から美術館まで歩くことを考えると足がすくんでしまってなかなか足を運べず。

秋めいてきた先日、ようやく行くことができました。

予備知識はプールの絵1枚だけで臨んだわけですが、もう息を呑むとしかいいようがなかった。
ああこれが天才なんだ・・・と尊さありがたさにひれ伏しそうになりました。
素人でもビシバシ感じる才能、場を支配するオーラ。
水は画家の初期の代表的なテーマようで、プールをモチーフとした絵をいくつか見ることができました。
青、ただ青としか言いようがないんだけど、どうしてこんなに明るくて、太陽がキラキラしてて、でも現実味がないんだろう。どこにでもあるような青なのにどうして。
ああ、私にもまだ世界をこんなふうにキラキラと感じる余地があるんだ、と画家を通して自分のポテンシャルを実感させられました。ありがたい・・・

もうワクワクして、早く先も見たい、でもこの目の前の作品の前にももっといたい、とソワソワしながら鑑賞しました。
結局2時間くらい楽しんでしまい、帰路では足が重くて仕方なかった。


ホックニー本人が時代によって表現技法を変えていったピカソを非常に尊敬しているそうだけど、ホックニー自身もまた「なんでもどうやっても描けちゃうんだねえ」とため息が漏れるほど多彩な表現を持っています。

圧巻だったのは肖像画!
ホックニーは対象を写実的に捉えようとすることで逆に対象から遠ざかることを「写実の罠」と呼んでいたそうですが、その人その人の吐息が聞こえてくるような作品群でした。どれひとつとして同じタッチで描いていない。一人一人違う人間ですから当たり前といえば当たり前なのですが、「我々はこうも違うのか」と度肝を抜かれました。

ホックニーはipadを使った制作もしていて、展覧会のラストはipadで描いた風景画を、絵巻物のようにぐるっと繋げた巨大な作品でした。
歩くスピードに沿って季節が変わって、そして一巡する。
こういう作品好きだなあと思い出したのが、山種美術館で見た、奥入瀬の四季を描いた4つの屏風でした。
あちらは屏風に描かれていて、こちらはデジタル。
なんとなくデジタルより伝統的な画法の方がありがたいんじゃないか(お金と手間がかかってそうだし)と素人は思ってしまいますが、ホックニーはそんなことどうでもいいんですね、きっと。
「デジタル”なのに”こんなに心揺さぶられるなんて」と驚いている自分に固定された価値観があることにも気づきました。

実は今回、会期終了が近い「テート美術館展」@国立新美術館とどちらに行くか悩んだのですが、図らずもテーマはリンクしてそう。どちらも「光」をどう描くか。
ホックニーはイギリス生まれで、テートにもたくさん作品が収蔵されています。10年近く前にロンドン旅行でテートに行ったことはあるけれど、当時は素通りしてしまってだんだろうな・・・

展示を見ている途中からもう買う気まんまんだった図録。昔大学の先生も「図録を買いなさい、学術的にも正確だし、印刷が綺麗だから」とおっしゃってましたがその通り。図録では絵の魅力の1/100も伝わらないのは承知だけど、備忘録代わりにもなりますね。とはいえ、自宅のスペースも限られているので滅多に買わないですが、今回は即決でした。

その場では買わなかったけど、引っ越ししたら買おうと思ってるのがこちらの本。

一見、子ども向けのような雰囲気だけど、パラパラ見た感じもうわたしの勉強にぴったりそうだったので。

ホックニーについて調べたり、図録を読んだりする前に興奮のままに書きました。
あーいくつになってもこういう瑞々しい心の動きを感じていたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?