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10カ国1人旅をして万福で満腹になった話①

ホーチミンをスタスタと1人で歩いていると色々な事を感じる。取り留めもないような小さなことから、想像もつかないような大きなことまで。

ただただ道を歩くだけで「インフラ」やら「教育」やら「政治」やら、誰に頼まれてもいないのに考えてしまう。

とまぁ、そんなことは置いておいて、私は1人旅を良くする。故意にというわけではなく偶発的に、そして結果的に「海外1人旅」をしてしまう。私の親は全く英語が話せないし、私の友達は現在みんな就活と卒論で忙しいからだ。

とは言え、私は恣意的なところがあるので、皆で旅をしようが、1人で旅をするのと大差ないくらい行く場所を決めてしまうのだけれど。そんなことは今回の話とは関係がないのでひとまずおいておく。

どうでも良い前置きはこのくらいに、今回は私が1人旅を通じて学んだ事や出会った人についてシェアしようと思う。

題して…

「10カ国1人旅をして万福で満腹になった話」

ひとり旅で訪れた国々                               ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、オーストリア、ドイツ、フランス、チェコ、タイ、ベトナム、ラオス(10カ国)

私は特に人見知りという訳でも、とりわけて社交的という訳でもない。普通の人である。しかし、この普通は対外国人の場合、英語を話すときだけ普通ではなくなる。おそらく私は日本文化や日本語を教えることが、海外の文化や考え方の違いに興味があるからだろう。

フィンランド/トゥルクの青年

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フィンランドの旧首都トゥルクに一人旅に行った時の話だ。私は例のごとく、例外なく1人でスタスタと歩きお洒落なカフェに入った。

フィンランドによくあるようなthe西洋といった風の内装と装飾に圧倒されていると、店員の男の子が話しかけてくれた。

店員「Moi!」

私「Moikka!」

覚えたてのフィンランド語で挨拶をしたが、それ以上続くはずもないので英語に切り替えた。結局、名物のkorvapuusti(シナモンロール)を頼むことにし、席に着く。

すると暇だったのか彼は私に質問をし始めた。どこから来たの?とかなんでフィンランドにいるの?みたいな絵に描いたような他愛もない話。どうやら彼も大学生らしい。トゥルク大学に通う25歳。

ん?少し年だなぁ。失礼ながらそんな事を思ってしまう私はやはり日本人なのだろう。恥ずかしながらフィンランド留学1ヶ月目にして、彼との会話を通して始めてフィンランドに兵役がある事を知った。幸福度ランキングで上位常連というだけのイメージに少し変化が訪れた瞬間であった。

「マスコミの報道は恣意的である」とか「情報はある程度コントロールされている」とか、そんなことは上の空で、真剣に考えてもいなかったけれど、こんなちっぽけな会話の中でそんな事に想いを馳せてしまった。

情報を多角的に見る事・知ること

物事の良い面だけや悪い面だけを見て何かを判断しがちであるけれど、大人になるにつれて多面的に考えることは大切なんだろうなと思った20歳の夏であった。

ドイツ/テュービンゲンの青年

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彼は私がドイツに留学している時に知り合った。ドイツビールを片手に物思いにふけっている時に横にいたのだ。ロシア系の血を併せ持ち、ポーランド系の祖母がいる。ルーツが多様であるというのは、私からすると馴染みがない。

彼は政治の話が好きだった。私が何を伺っても最後には政治の話に帰結してしまうほどに。女子高生みたいなカフェの話をしたって、高校時代のスポーツの話をしても、彼は政治の話にもっていく。しかもこれが英語で、というのだから私にはより訳の分からない状況となることは必然だろう。

これは今になってこそ思うのだが、英語が話せると一概に言っても、やはり知識がないことは話せないし、興味のないものはない。昔は英語さえやっていればなんとかなるだろうと思っていたのだが、知識人と話せば話すほど、頭の良い人と話せば話すほど、どうやら英語力はある程度で良いと感じる。

ある程度の英語力があれば良い

完璧に、ネイティブみたいにスラスラ言えなくたって、やっぱり英語はツールであって伝えたいことが先に来る。文字を書けることと良質な文章が書けることがイコールではないのと同じように、英語が話せるからと言って中身のある会話ができるかどうかは別問題なのである。そんな当たり前のことを感じた2019年の冬であった。

ベトナム/ホーチミンのおじ様

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私は生粋のアジア人だが、アジア人のせかせかとした気質があまり得意ではないようだ。例えばタクシーやトゥクトゥク。おそらく多くの日本人がそうであるように、私も押しに弱い。包み隠さずにいうと「ぼったくり」に合いやすい。だから私は、一人旅をするときは必ずと言って良いほど歩く。ただひたすらに目的もなく。

しかし、今回の場合は例外であった。昼の13時半までにタイ大使館に行かなければならないという制限付きの用事があったからだ。そこに付け込まれた。取り込まれた。

彼(先述のおじ様)は私がホテルから出てくるなり、見計らったかのように自然に近づきカタコトの英語で話しかけた。愚かで真面目な私は彼の問いにいちいち答えてしまう。一度あしらったにも関わらず、彼は話し続ける。遂には彼は日本語で話しかけてきた。しかも、大量の日本人からの手紙とともに。

「彼に町を案内してもらえて本当に良かったです!最高の旅となりました!ぼったくりの多いホーチミンですが、彼は信頼できます」

「1人旅で困っていたところ〇〇さんに話しかけられ、1日ガイドになってもらいました。〇〇さんは日本語が堪能なので安心できました」

という風な手紙を何十枚も見せてきた。別にそれが決めてとなった訳ではないが、嘘でもほんとでもこのおじ様は本当に一生懸命逆引きをしているのだなと逆に感心してしまった。

真偽は置いておいても、数十枚の日本語の手紙とカタカタとは言えコミュニケーションの取れる英語力と日本語力。何年バイクドライバーをやっているかは知らないが、その稼ぎたいという精神力、生きる力に感心した。関心さえもってしまった。ただ押しに弱いという自分を認めないために、ひとまずこの関心のせいで乗ってしまった。乗せられてしまったという事にしておこう。

25000ドン(1000円弱)というまぁまぁ高い金額を払ってしまったけれど、オススメのご飯どころやベトナムの話ができたので、まぁチップとでも思っておこう。多少強引だが大人としてあの度胸と精神力は見上げたものである。

多少のことではめげない精神力

生きていく上では大切な要素だと思う。ぼったくるという行為自体はまったくもって正当化できないが、彼という人間のある一面において学ぶことはあったと言えよう。

万福で満腹

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どんなに小さな出会いでも、少ししか話していなくても人と話すと何かを思い、何かを学ぶ。1人でいると自由に会話ができるし、話しかけられることもあるだろう。不便なことや友達と来た方が良いと思ったことも何度もあるが1人旅をすると自分との対話が確実に増えることも事実だろう。だから私はどんな出会いであっても、そこから何を学ぼうが万福で満腹になる。

だから私は1人旅が好きなのだ。

だから1人旅はやめられない。

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