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吉良さんのお別れ会に行ってきました。 ~前編~

2016年7月3日に56歳で亡くなったZABADAKの吉良さんのお別れ会に行ってきました。日時は8月7日16:30~17:30、場所は東池袋のサンシャイン劇場で、懇意にしていた演劇集団キャラメルボックスの昼公演と夜公演の間を間借りして行われました。

本当はキャラメルボックス総指揮の加藤昌史さん主催のステージイベントkatami wakeを観たかったのですが、チケットが入手できなかったので、参加自由の「献音」だけしてきました。ちなみに献音のコーナーの進行役は元N社の先輩でした。

今までの記事でも何度かZABADAKのことを書いているので、皆さんお気付きだと思いますが、自分はZABADAKが大好きです。どれくらい影響を受けたかというと、今の仕事を始めたきっかけがZABADAKなんです。

もともとYMOの影響を受けて音楽を始めたのですが、83年にいきなり解散してしまい、当時多感な中学2年生だった自分の心にぽっかり穴が開いてしまいました。折からのMTVブームでデュランデュランとか好きだったんでまだ心の平静が保てていましたが、そのブームも陰りが見え始めた87年、高校3年生の自分は人生初の喪失感に苛まれていました。

そんな時に何気なく見ていたテレビからZABADAKの「美チャンス」が流れてきました。「あっ、この曲聴いたことがある!」「この2人見たことがある!」と思いました。岩下志麻や松坂慶子が出演していたメナードのCMでこの曲のリコーダーバージョンが使われていたのです。また、定期購読していたサンレコの少し前の号にZABADAKのインタビュー記事が載っていたのを思い出したのでした。当時はまだ3人でしたが。

そこからCDを買ったり、一生懸命情報収集したりして(今と違ってネットがないので大変でした)、このZABADAKというユニットはCM音楽をよく手掛けているということを知りました。当時はバブルの入り口でCMもお金がかかっていて、音楽的に面白いものが多かったのですが、その中でも一番のお気に入りがZABADAKでした。とくにタケダ漢方便秘薬のCMにやられました。

ZABADAKのおかげでようやく長きに渡ったYMOロスから抜け出すことができ、自分もこんな人たちみたいにCMとか映像音楽をやってみたいと思うようになったのです。ただ、当時周りに誰もファンがいなくて、自分も受験勉強のためにしばらく音楽から遠ざかることになります。

一浪して地元名古屋の大学に入ると、いきなり友達から劇団の手伝いをして欲しいと頼まれたのですが、なぜかこの劇団はZABADAKファンが多くて、CDを貸し借りしたり、情報交換をするようになりました。とても幸せでした。

そんな時にグッドタイミングでZABADAKが名古屋に来ると知りました。当時「ZABADAKは東京のおしゃれなバンドで地方には来ない」と思っていたのですが(実際はその前に岐阜県でライブをやっていたようです)、突然の発表に心躍り、みんなでチケットを買って今池のボトムラインに行きました。それが90年8月1日のharvest rainツアー名古屋公演で、会場内で配られたフライヤーには「遠い音楽」の発売のことが書いてありました。

そこから完全にはまってしまい、名古屋のライブだけでは飽き足らず、東京のライブも行くようになりました。たぶん皆勤賞だったと思います。東海道線の鈍行をよく利用したものです。「バイオスフェア」というファンクラブの存在を知り、チケットを取るために入会したのも懐かしい思い出です。ファンクラブというものに入ったのはあれが最初で最後です。

長くなってしまったので後編に続きます。

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