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カミナリが泣きたくなるくらいこわかった。

小学2年生の初夏の、ある土曜日のことを今でもよく覚えている。

当時、土曜日は、3時間授業の後に給食を食べ帰りの会をして帰るという時間割で、わたしはその日、帰りの会の後にウサギ当番をしてから一斉下校の列に入ることになっていた。

しかし、その日は給食の時間頃から空が暗くなり、ザー!と音を立てて雨が降り出した。どんどんどんどん雨が強くなり、運動場がたちまち大きな池のようになった。

大雨になればなるほど興奮して大騒ぎする男子を、わたしは冷めた目で見ていた。
ゴロゴロとカミナリが鳴り出すと、へそをかくせー!と言いながらも、今で言ういじられキャラな男の子のシャツをめくっておへそを出して取り押さえる悪ふざけも始まった。

わたしは当時、けっこうな怖がりで物事を悲観的に考えがちな子だった。
ちょうどそのときは、カミナリ→落ちる→死ぬ→お母さんに会えない という思考が拭いきれず、おへそを取られるというどうでもいいことで盛り上がっている男子に対し少し苛立ちをかんじていた。

落ち着きのない帰りの会を終え、一斉下校のための整列は運動場でなく体育館下の駐車場にという放送が入った。

おへその件でふざけていた男子が、給食室で野菜くずをもらってから行くから先に小屋の中の掃除をしとって、とわたしに言った。
彼は、いっしょに当番をすることになっていたのだ。

わたしは、それに対し頷いたかどうか覚えていないが、こんなカミナリの中、ウサギ小屋へ行くなんて事は 「死」 だとしか考えられず、当番をサボった。
サボって、体育館下の駐車場へ向かった。
途中で友達にウサギ当番じゃないかと聞かれても、今日はやらなくていいと言われた、というような嘘をついて涼しい顔でサボった。
大雨とカミナリがほんとに怖ろしく、今にも泣きたい気持ちだったがなるべく涼しい顔で、誰か迎えにきてくれないかなぁという友達と、ほんとにそうだね、というような会話をしていた。
一斉下校の列には、兄がいたのでなるべく兄のそばに寄って、安全を確保しているつもりだった。
誰かを迎えに来た軽トラックが、バックして電柱にぶつかったらしくザワザワしていた。その状況もわたしの恐怖心をさらに煽っていた。

そこへ、ウサギ当番の彼が仕事を終えて現れた。
少し遠くからわたしを見つけて
「あー!おった!掃除しとってって言ったのにサボっとる!」と、大きな声で言った。
普段、明るく正しい子であろうと努めていた小2のわたしは、その声がとても恥ずかしく、涙が出てしまった。
ひとたび涙が出たら、そこまで我慢していたカミナリに対する恐怖心がダダ漏れになって、ちょっと泣くどころかワンワンと大泣きをした。
だって、あれでウサギ小屋に行ってたら、わたしは死んでしまうんだから、死んでしまったらお母さんに会えないんだから、サボったんじゃない、サボったんじゃない、声にはせず心の中で叫びながら兄のそばで大泣きした。

ウサギ当番の彼も、そばに居た友達も、どんな風にわたしを見ていたか全く覚えがないほど大泣きして、気づけば兄に手を引っ張られ泣きながら通学路を歩いていた。
大雨の中、片手は兄の手と繋がっていたので、もう片方の手だけでさしている傘はほとんどその役割を果たしていなかった。

家の近所の神社にさしかかる頃には雨が次第にやみ、家につく頃にはすっかり空が晴れた。
それと同時に、わたしの涙もだんだん乾いていった。

ただいまー!と玄関を開けると、とうもろこしを茹でているいいにおいがした。
それからアイロンのスチームのにおいもした。
母が、すごい雨だったねぇ、ずぶ濡れだから着替えなくっちゃね、とアイロンかけたての黄色のワンピースを広げて見せた。
それはわたしのお気に入りのワンピースだった。

アイロンの温度が残るお気に入りのワンピースに着替えて、首にかけたタオルで頭を拭きながら、茹でたて熱々のとうもろこしの一部に持ち手にするチラシを巻いている母を見ていた。
兄が、わたしがウサギ当番をサボったと言われて大泣きしていて帰り道が大変だった、と告げ口していた。
母は兄に、大変だったねぇというようなことを言うだけで、わたしに何も問い正したりしなかった。
わたしは大泣きしていた事実を全くなかったように振舞っていたが、泣きはらした顔できっと母にはバレていただろう。もしかしたら神社手前でまだ泣いていたときの声が家まで聞こえていたかもしれない。

わたしはもうすっかり、さっきまでの恐怖を忘れて、本当に無事に帰ってこれてよかったという安堵感いっぱいでとうもろこしを食べていた。
兄がちょっと腑に落ちないのか、黄色のワンピースのわたしを「カミナリの子みたいだ」と言ったのが少し気にさわったが、どうでもいいことにした。

月曜日、学校で何か言われるのではないかと少し心配だったけど、わたしが大泣きしていたことについて誰も何も言わなかった。

カミナリが怖くて泣いていた、と誰にも言わないまま日々はすすんだ。

だんだんと、カミナリをそこまで恐怖に感じなくなっていた。

おへそが取られるなんてどうでもいいこと、と苛立っていたくせに、
大人になったわたしは、カミナリがなるとき、涼しい顔をして左手でおへそをこっそり押さえている。

そして、茹でたてのとうもろこしのあまいかおりと、アイロンの温度が残るワンピースのあたたかさを思い出す。

大雨とカミナリの中、ひとりでウサギ当番をやった彼は、今どうしてるだろうか。

ありがとうを言っていない。

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