ボードゲーム「PACIFIC GO」がちゃんとヒストリカルな理由

先だって私は、ウォーゲーム「東大紛争 1968-1969」について触れたわけだけれども、それ以外にも注目すべきゲームは同人界隈からも続々発表されているのが近年のボードゲーム界の恐るべきところである。そんな中、元々私の大好物、もとえ主専攻である西太平洋シアターのゲームも発売されている。いくつか候補はあるが、取り敢えず今回は2つほど通販にて入手した。そのうちの1つが、今日ご紹介する「PACIFIC GO」(太平洋ノ碁)だ。

すでに界隈では名作と名高いゲームであるが、一応説明しておこう。プレイヤーは日本軍(白)と連合軍(主に黒)に分かれて、互いにマップ上に区分けされたエリアのドミナンスを取り合うゲームだが、通常のウォーゲームであればユニットの間には能力差が存在するだろう。しかしPACIFIC GOにそのようなものはない。あるのは、そのコマが陸軍か海軍かと言うだけで、その間に武力差は存在しない。その点は囲碁における碁石と、将棋における駒の性質を取り合わせたような感じである。つまり各コマの間に対して性能差が設定されていないのだ。これによって、マップ上を白と黒の駒が行き交って埋めていく様は、いかにも囲碁の趣きと言える。

ユニットの移動のルールも奮っている。未行動のユニットに対して、先手後手がそれぞれ1つのコマごとに移動し、両者の連続パスによって(!)移動フェイズが終了する。まるで移動自体は将棋のようで、フェイズの終了要件は囲碁の終局処理である。こうして白と黒(緑・黄)のコマを太平洋上に展開し、戦闘を生じせさしめ、互いのドミナンスを拡大していくのである。

この点においてはヒストリカルウォーゲームと言うよりは、近年興隆めざましいユーロゲームのデザインベースに似ている。ユニットが明確に木製の「コマ」で有る点も、ユーロゲームに親しみはあるけど、ウォーゲームはちょっと……と言う層にはうってつけかも知れない。戦闘解決もダイスは使うがCRTを使わない、シンプルな解決法を取っている。

が。しかし。このゲームは、実にヒストリカルなのである。それは資源の扱いに日本軍と連合軍で差があるからなのだ。資源を得ることも、使うことも、日本軍と連合軍には歴然とした差が設けられており、これによって日本軍は徐々に追い詰められ(明確に珊瑚海もミッドウェーもマリアナもあるわけじゃないのに!)、最終的には勝敗が決してしまうのだ。ユニットの性能差によってではなく概ねその数によって、日本軍と連合軍の間には残酷なまでの差が有ったことを描き出すことで、「PACIFIC GO」はユーロゲーム的でありながら、ちゃんとヒストリカルウォーゲーム足り得ているのである。

このゲームのデザイナーである堀場亙さんは、当初「30分程度で終わる太平洋戦争のゲーム」の作成を打診されたことがきっかけとなって、本タイトルの開発を行ったと言う。その中で幾度となく試行錯誤を繰り返されて、現行の形になったと言う件については「このシミュゲがすごい! 2018年版」をご覧いただければと思う。大変興味深い分析が、そこかしこに見られる。

さて。ウォーゲームのデザインと言うのは、各デザイナーのコンセプトだけでなくそこに存在する歴史観も反映される。言い方を変えれば、歴史観によってコンセプトが出来るとも言えるし、時々のエポックはなくて汎化した戦争のあり方をコンセプト化することで統一的な「システム」も生まれるだろう。どちらが先かはともかく、「PACIFIC GO」が目指した太平洋戦争の抽象化手順の中でもっとも明確に、されど抽象的に描かれた「資源」と言うトピックの問題は、太平洋戦争を語る上で重大な歴史の凭れ掛かりなのである。

戦争における「資源」とは、何も鉱業資源ばかりではない。食料もそう、被服もそう、人員もそうなのだ。そして資源のないところに「戦力」は存在しないのである。あらゆるものを総力戦の名の下に消耗するのが当時の戦争なのであり、しかも兵器の性能は格段に第一次大戦より向上した。殺傷力も破壊力も段違いだが、消費する資源も桁違いだったこの戦争を勝ち抜く術は、残念ながら元来資源小国であった大日本帝国には持ち得なかったとしか言い様がない。しかしそれでも対米戦争の道を選ばざるを得なかったのは、実のところ太平洋戦争が「戦争」を維持する本質的な防衛戦争だったと言うことを物語る大きな証拠なのである。それはいわゆる「大東亜戦争」としての括り、すなわち日中戦争と太平洋戦争の、奇跡のコラボレーションによって生起したシアターそのものが持つ特質でもあったのだ。大きな犠牲を払って、守り得たものがなんであったかは、ちょっと言いたくないのだけれども。

そして「PACIFIC GO」のフルキャンペーンは10ターン目である1944年の秋冬ターンにて終了する。なぜなら1945年には、すでに戦争と呼べる状態ではなかったのだ、と判断するに足る状況だったことは、戦史の記憶の中において、生々しく残っているからだ。本来の意味で最後の反抗戦となるはずであったレイテ沖海戦にて甚大な被害を被った日本海軍はもはや海軍と呼べる状態ではなく、天号作戦と銘打たれた戦争計画は、早々に坊ノ岬沖で完全に画餅に帰す運命にあった。

「PACIFIC GO」は戦争遂行に必要となる「資源」と言う問題をクローズアップし、結果としてなぜ日本が敗戦に至ったかを、ユーロゲーム的アブストラクト性の内側に対して明確に描き出している。近代国家において戦争とは外交の最終、そして最悪の手段に過ぎない。外交は政治のセクションの一つに過ぎず、政治の結果は、経済に結実しなければならない。どこかが緩んでいた問題のタガは、実は明らかに経済、すなわちその基礎となる「資源」に有ったのである。戦後、日本が高度成長期を迎え経済大国として立脚できたのは、外交上の平和を迎え資源を他国から買い入れられる環境が整備されたからだ。

どれだけ復興への意欲があろうとも、明確に市場があろうとも、資源のないところに経済は成立し得ない。原料がなければ製品は作られず、製品が存在しなければ商業は起こり得ない。それは戦前から同じだった。大日本帝国と自ら呼称するその国が、欧米列強に比肩するまでに国際的なプレゼンスを高めた日清・日露と言う戦争の先に夢見たものは、他ブロックからの資源輸入に頼らない経済チェーンの形成に他ならない。しかし、植民地争奪戦には粗方のカタがついて久しかった。日本がその時点で他の列強国の植民地化されなかったことが、本当に後世まで含めて幸福であったか、その評価は多分に難しい。だがその歪みを政治的局面から打開しようとしたことに、実は当時の軍事当局による政治支配の歪み、もっと言えば驕りが存在していたのである。「PACIFIC GO」で白を持てば、その気持ちがわかるだろう。


この感想文を、堀場工房・堀場亙さんに捧げます。



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