在りし日のウォーゲーム黎明期と日本の「反戦と戦争アレルギー」

TwitterのRTで拝見させていただいたブログの記事が興味深かった。

ああ、そうだそうだ、と膝を打った。この記事でも言及が有る「フジ三太郎」には記憶が有った。うちは伝統的に朝日を取っていたので、当然私も朝日を読んで育ったのだ。その割には左にも親中派にもならなかったし、両親は「単純に組版が一番見やすい」と言うだけの理由で朝日を取っていた。

そんな中にふっと現れたこの記事が新聞紙上を飾ったころ、テレビでも小さな埋草のようにウォーゲームを取り上げられていたが、1981年と言うと私はまだ小学生の低学年だし、郷里は地方都市だし、そもそもウォーゲームと言う新しいゲームの前に、当時の私たちの標準娯楽はゲームウォッチか将棋、あとは公園で野球もどきの何かをするのが関の山だった。しかしながら、うっすらと心の中には「ウォーゲーム」と呼ばれるゲームに興味を抱いていたのである。

その後時代は駆け下り中学生になった頃、ようやく私はウォーゲームと言う世界に足を突っ込む機会を得たのだが、初めてのウォーゲームは「フライトリーダー」だった。よりによってドッグファイト。いや、良いゲームでしたよ、機動ルール大変だったけど。その後、大半の人間はTRPGに行ってしまい、どうもノリが苦手だったのでそちらに行かなかった私は、相手のいないウォーゲームをチビチビと買い集めるようになったのである。コンピュータゲームはやったがいわゆるコンシューマ機ではなくパソコンだったし、当時の共通的な娯楽からは遠ざかっていることを理解しながらも、特に世俗に追従しようとも思わずに今に至っている。私の極度の人見知りと引きこもり傾向は、そんなところにも現れているのかもしれない。

さて。ほぼ40年近く前の記事だが、いや、だからこそか、こんな声がある。冒頭のブログより引用させていただく。強調は筆者注。

記事の最後でミステリ翻訳家の田中潤司が「純粋にゲームとして楽しんでいる」として肯定的なコメント。そして「戦争ゲームも、知的競技には違いないので、それ自体はどうということはない。ただ沖縄戦といったものとなると、ゲームとしてやれる無神経さが気になる。あそこで何が行われたか、といった歴史的事実を知っていたら、とてもゲームなどやる気にはなれないでしょうね」という野坂昭如のコメントで記事を〆ています。

野坂昭如はご存知の通りド戦中派であるから、こう言ったコメントはウォーゲームに対する批判と言うよりは、ウォーゲームプレイヤー、つまり当時の若い学生らの戦後派に対する苦言と見るべきだろう。大東亜戦争を肌身で知り、身近な体験として知ることができた世代だからこその意見である。

しかし、これが3年後の1984年には論調は硬化してくる。同ブログより。

ゲーム会場としていた青少年会館の使用を禁じられた「岐阜ゲーマーズフォーラム」会長の若者。「当館の設置目的である青少年の健全育成、社会教育の振興になじまない」という通達に「『なぜ、そんなに目クジラをたてるの』と言いたげだ」と記者のコメント。
最後に競技人口を6万人、高校生3万、大学生2万、中学生ら1万と紹介。どんな調査結果なのか気になりますが、典拠不明。「(前略)太平洋戦争に題材をとったものも多い。”戦争ごっこ”へ走る若者は、後を絶たない。」として〆。

完全に批判的。

わかりやすく批判している。もっともこれは、8月15日の東京朝日だそうなのでその辺はさもありなんなのであるが、こうした流れはウォーゲームと言うものをシンプルに「戦争を肯定、乃至は賛美するもの」として描こうとしているグランドデザインが丸見えで、少々腹立たしい。まぁ、朝日だからしょうがねぇんだけど。

でー、だ。私はこのコラムの中で事あるごとにウォーゲームの話題に触れているが、なぜ私がウォーゲームと言う現代日本に於いてはごく限られたプレイ人口のゲームに触れ続けるのかと言えば、ウォーゲームが好きだと言う短絡的な理由以上に「ウォーゲームに触れることは、戦争を知ることだ」と言うテーゼを持っているからだ。

つまりウォーゲームとして抽象化された世界は、具体化するには細かすぎる部分を省略することで戦争の本質を抉り出し、現代においていかに戦争とは愚かであるか、繰り返してはならないか、そしてそれでもなぜ世界から戦火は絶えないのかと言う問題を突き付けるのである。だからこそ私は、ヒストリカルなシアターであればあるほど、どういった形でヒストリカルな側面を描いているか、そういったゲームデザイナーたちのデザイン方針を見たい。そうした欲望が、私をウォーゲームに、そして戦史研究に駆り立てるのだ。

私だって戦争は嫌だ。戦争反対だ。だが、反戦としての意志を明確にすることと、戦争と名の付くものにアレルギー反応を起こしたように毛嫌いするのは別だ。もっとイヤなのは、以前少し触れたことだが「現行の憲法9条が有れば日本は平和だ」と言う利己的な平和主義解釈だ。そんな暢気なことを考えながら、戦争アレルギー丸出しの市民運動を見ていると胸焼けがする。怒鳴り散らしたくなる。外交の手段としての戦争、武力衝突としての戦争を局面から学び取ることを「戦争ごっこ」と小馬鹿にする態度に苛立つ。

中国もロシアもいつでも狙ってんだぞ!!

「善隣外交」なんて言葉に惑わされてると、自衛隊が護ってくれないよ。



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紗水あうら

こらむ紗水式――細かいことはどうでもええんじゃ――

自称アマチュア物書き兼ピコ手文芸サークル「頌櫻堂書房」主筆・紗水あうらによる、ノンジャンル・ノンタブー・ノンフィクションのコラムデスマッチマガジン「こらむ紗水式」、note上に創刊。無名の一般人だからこそぶちまけられる思いを胸に、いざ飛び立たん中年男子たちよ! 取り上げてほ...