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小説:アップルパイ inspired by a song【二時頃 aiko】

トレイの上でカタカタと小刻みに揺れるコーヒーカップ。どうにかこぼさないようにと、慎重に歩みを進める。腰が引けて顔が引きつる。そんな危なっかしい姿をお客さんが見ている。どうしよう。手は冷たいのに顔が熱くなる。よしよし、あと一歩。

「こちらホットコーヒーです」

安堵しつつ、ホットコーヒーをテーブルに置こうとした瞬間、ぐらついたコーヒーカップがトレイの上で倒れた。

「あっちっ!す、すみません!!
 代わりのコーヒーをお持ちします!!」

その瞬間、キッチンからホットコーヒーを運んでくる白いエプロン姿の人。

「ホットコーヒー、お待たせしました。
 お客様お怪我はございませんか?
 お騒がせしてしまい、申し訳ございません」

なんてスムーズな対応。ぼんやり立っている私に小さく言う。

「ここはいいよ。冷やしておいで」

なんて不器用なんだろう、恥ずかしくてすぐに消えてしまいたい。バイト初日なのに、はやくもちょっと辞めたくなっている。新宿のイタリアンでバイトできるの、すごく楽しみにしてたのに。自分がこんな不器用だったなんて。


「さっきは大変だったね。本当にやけど大丈夫だった?」

仕事終わり、おだやかな声色でその人は言った。さっき私の代わりにホットコーヒーを運んでくれた人、アキラさん。

「ちょっと手にかかっただけなので。それもすぐに冷やしたので全然大丈夫です」

まかないのナポリタンを食べながら話す。聞けばアキラさんはバイト5年目の大学5年生だという。5年生というのは、必修科目の単位を1つ落としてしまったからとのこと。こんなテキパキ働ける人も単位落としたりするんだな。

「はいこれ、バイト初日頑張ったひとに」

スイーツセット用の小さなアップルパイ。シナモンのスパイシーな香りがする。

「いいんですか?ありがとうございます」

「今日はもう、人来ないでしょ。
 まあ、まだ初日なんだしさ、失敗もあるよ。それより怪我がなくて何より」

優しい言葉が染み渡る。アップルパイをほおばる。

「んん、おいしい!りんごがトロトロですね。毎日食べたい!」

ふふ、とアキラさんが笑った。顔をくしゃくしゃにして笑う人だな。笑うと目がなくなるんだな。そんなことを思った。


大学を入学を機に上京して、初めてのバイトは家庭教師だった。
派遣元の会社の社員さんから、中学受験を見据える都会の小学生は3年生から塾に通う、と聞いてげっそりした。私が小3の頃なんて、ローラースケートにはまっていたし、学校帰りに草笛を吹いたり、公園裏の山に秘密基地を作ったりしていた。
生徒のお母さんお父さんに感謝されたり、たまにケーキをごちそうになったり、こどもたちに慕われたりするのは好きだ。好きだけど、せっかく大学入学を機に長野から東京に出てきたのだ。大学2年になったし、もうちょっと都会っぽいバイトもしてみたい。と思っていた時に出会ったのが、ここ「イタリアン食堂 クッチーナ」だった。

「おつかれーっす!」

元気な声の岡本くん。憎めない子犬のような愛嬌のある彼は、私よりひとつ下の大学1年生。アキラさんの大学の後輩だという。たしか今日はお休みだったはず。

「うちの実家から桃いっぱい送られてきちゃって。よかったらもらってくれません?」

そういって手に抱えた段ボールいっぱいの桃を見せてくれた。

「えー!実家どこだっけ?これ持ってきたの?重かったでしょ」

「山梨っす!うちに置いといても食べきれなくてダメになっちゃうんで、はやく持って来たくて。なつさん、よかったら持ってってください」

「ありがとう。持って帰る」

「あれ、今日アキラさんいないんですね。アキラさんにも持ってって欲しかったんですけど」

「今週はずっと休みって聞いたよ。去年単位落とした科目のテストが近いとかで」

「あーそうだった。俺も聞いたんだった。なつさんって最寄りどこっすか?」

「下高井戸。けどなんで?」

「下高井戸!アキラさん笹塚なんすよ。俺逆方向なんで、もしアキラさん家にいたら、帰りに桃届けてもらっていいっすか?」

「え?あーいいけど。でもお店終わってからだと遅くない?」

バイトが終わるのが23:30。それから電車に乗ることを考えると、笹塚着は0時頃になるだろう。すぐに岡本くんはアキラさんにLINEして在宅を確認すると私に桃を5つ手渡した。

「遅くても大丈夫だそうっす!アキラさん、駅まで取りに来るそうです。なつさんのLINE教えといたんで、後で連絡来ると思います。駅ついたらアキラさんに連絡してださい!」

その瞬間、メッセージを知らせるバイブレーション。

アキラです。遅くにごめんね。ありがとう


熱い。暑い。7月の夜はあつい。
ビニール袋に3つの桃。自分のバックにも2つ。

なつ :0時頃、笹塚駅に着きます
アキラ:分かった。改札前にいる

改札前にグレーのハーフパンツと白いTシャツのアキラさんがいた。
暑いのか、重いのか、私の心臓、ドクドク鳴りすぎ。

「遅くにごめん。ありがとう」

「いえ!帰り道なので全然大丈夫です」

改札越しにビニール袋を渡す。
あれ、バイト終わりだし、汗かいているし、私の顔テカテカじゃない?

「じゃ、お疲れ様です!」

「おん、お疲れ!ありがとう!」

アキラさんに背を向けて来た道を戻る。

「なっちゃん!」

「えっ?」

振り返ると、大きく手を振りながらアキラさんがにこにこ笑っていた。

「おやすみー!」

「あっはーい!おやすみなさーい!」

そそくさと笹塚駅をあとにする。いつもの帰り道に戻る。
アキラさん、部屋着っぽかったな。駅から家まで近いのかな?
部屋着もなんかラフでいい感じだったな。口元が微笑んでしまう。


朝、LINEが来た。

アキラ:昨日は桃ありがとう!
なつ :いえいえ、桃おいしいですね。もう食べました?
アキラ:まだ。テスト勉強に追い詰められてて…
なつ :あ、そっか。勉強お疲れ様です。頑張ってください!
アキラ:いやー頑張らなきゃ卒業できないからさ、頑張る気でいるんだけど、夜はもう眠くて…
なつ :あはは、睡魔との戦いですね

LINEが止まらない。止めたくない。

アキラ:その通り。今日も夜までやんなきゃ間に合わないな
なつ :頑張ってください!!応援してます!!


バイト終わりにスマホを見ると、1件のLINE。

アキラ:ちょっと仮眠したいんだけど、熟睡するとやばいから帰ったら起こして!

かわいい犬がお辞儀をしているスタンプまでついている。
起こして、ってLINEで?それとも電話?モーニングコールってこと?
帰りの電車でぐるぐる考えてたら家に着いてしまった。

なつ:アキラさーん!起きてますかー?

既読にならない。これは寝てるかも。電話する?電話、するか。熟睡は困るもんね。

プププ、プププ、トゥルルルルル…

繋がっちゃった。7回コールしてつながらなかったら切ろう。

「はい」

息が詰まる。アキラさんの声だ。寝起きの小さな声。

「おはようございます。なつです」

「ああ、なっちゃん。ありがとう。ふふ、ほんとに起こしてくれたんだ」

「起こしますよ!卒業がかかってるんですよね?モーニングコール係、責任重大じゃないですか。よかったらいつでも使ってください」

一気に喋る。口がどんどん喋る。

「ほんとに?いいの?じゃあ、明日もバイト終わりに電話してくれない?」


眠るのが惜しい。
朝起きるのが嬉しい。
白いご飯がおいしい。
服を選ぶのが楽しい。
会う人みんなに挨拶したくなる。

バイト終わり、家に帰ってアキラさんに電話をかけるのが日課になってしまった。

「アキラさん、今日岡本くんティラミス作るとき砂糖入れ忘れたんですよ。そんなことある?って思って笑っちゃいました」

「まじか。あいつやるなあ」

「へ、へ、へっくちゅ!!」

「え、今のくしゃみ?ぶははかわいい」

え、かわいい?今、かわいいって言った?
私のこと、かわいいって言った?
顔が熱くて赤くなる。電話でよかった。
ああ、どうしよう。完全にハマってしまっている!


たしかアキラさんのテストが終わるの今日だったっけ?
明日からアキラさんバイト復活するから会える。
今日は早く寝よう。そう思ってベッドに入ろうとしたとき、スマホが鳴る。
アキラさんからだ。

「はい。もしもし」

「なっちゃん、テスト終わったよ」

「お疲れ様です!明日はバイト入ってますよね、久しぶりですね」

「久しぶりに会えるね」

「ね、会えますね。なんて、はは、アキラさん酔ってます?」

「ちょっとね、テスト終わってみんなで飲んでたから」

ガチャガチャと鍵の鳴る音。

「今家帰ったとこですか?」

「そうだよ」

「アキラさんち、どんな感じなんですか?雰囲気」

「普通だよ。」

「普通ってどういう?」

「冷蔵庫があってテレビがあって洗濯機があるだけだよ。」

「あー生活必需品はそろってますね。」

「ふふ」

電話切りたくないな。朝まで喋ってたいな。
くしゃくしゃの笑顔を見たいな。


バイトをするためにクッチーナに行っているのか、アキラさんに会いにクッチーナに行っているのか、もはや判然としない。
キッチンからアキラさんの声が聞こえてくるだけで、自分の顔が笑っちゃうのがわかる。ついつい張り切ってお客さんにも声を掛けがち。

電話をしたり、バイト終わりに一緒に電車に乗ったり、そんなことがすごく楽しくて嬉しい。
ふわふわの髪の毛、くしゃくしゃの笑顔、低く乾いた穏やかな声。
いつでも隣にいていい人になれたらいいな、と思う。


10月20日金曜日。今日ははアキラさんの誕生日。
意を決してプレゼントを渡すことにした。
手作りのアップルパイ。
バイト終わりに渡そうと思って、焼いてきた。
それから、もし言えたら、言おう。

「いっらっしゃいませ!」

会社帰りと思われる女性3人。華やかな雰囲気で、漏れ聞こえる会話から推測するに、化粧品の会社に勤めているようだ。
バリバリ働くキャリアウーマン、憧れるなあ。
その中のひとり、小柄な女性と目が合う。

「ご注文お決まりでしょうか?」

「本日のおすすめパスタのスイーツセットを3つお願いします」

「承知しました。スイーツは何になさいますか?
 ティラミス、アップルパイ、カタナーラの3種からお選びいただけます」

先ほどの、小柄な女性が言う。
「わたしはアップルパイで。ここのアップルパイおいしんだよね」

「召し上がっていただいたことがございましたが、ありがとうございます!」

「ええ、何度か来ていてアップルパイが大好きなんです。」

いたずらっぽく笑う顔がなんともチャーミング。上品で都会的な雰囲気の中にキラッと光るを星を持ってるみたいな、素敵な人だな。


人もまばらになってきた閉店間際。
女性グループがお会計に向かう。

会計の対応をしようとレジに立つと、キッチンの方をのぞき込む小柄な女性。つられてキッチンの方向を見る。

「よっ。おつかれ」

アキラさんが顔を出す。私に言われたのかと思った。私を見てない。

「おつかれ。誕生日おめでと。」

小柄な女性が言う。

「あ、お知合いですか?」

嫌な予感がする。けど聞かずにはいられない。アキラさんがこたえる。

「そう。彼女。」

彼女、彼女、彼女。

「ごちそうさまでした。アップルパイおいしかった。先に家行ってるね。」

そのあと、閉店作業をしたはず。
頭は別のことを考えていて、いや考えていなかったのかもしれないけど、何か別のものに占領されていて、どうやって作業をこなせたのか覚えていない。
アキラさんとうまく話せるかな。

「なっちゃん、おつかれ!」

「あ、アキラさんお疲れ様です。テストもお疲れさまでした」

「いやー起こしてくれてありがとう。本当助かった」

「…彼女さん、素敵な方ですね」

「ふふ。そうだね」

「一緒に住んでるんですか?」

「いや。だけど週末はだいたい泊りに来てる」

「そうなんですね」

「美容のためとかいって、すごい早寝なんだよ。22時にはいつも寝ちゃってて。バイトから帰る頃にはいつもだいたい寝てる」

だから私がモーニングコール係?
奥歯を噛みしめる。震えそうになる声を飲み込む。
眉を引き上げて、口角を上げてまっすぐにアキラさんを見る。

「私、短期留学考えてて、これから勉強とか準備とか忙しくなりそうなので、もう夜、電話できないです」


自分で作ったアップルパイは、自分で食べた。
心臓がしわしわになった気がして、食いしばっても涙が溢れて、喉から声が漏れて、それでもアップルパイは美味しかった。
私、こんなに美味しいもの作れたんだ。

アキラさんの声が好きだった。
くしゃくしゃの笑顔が、細くなる目が、ふわふわの髪が、大きな手が。
クッションをぎゅーっと抱きしめる。
抱きしめてもいい人になりたかった。抱きしめられたかった。
家に余らせていた残りのアップルパイも全部食べた。
全部食べて、いつも電話していた時間の前に眠った。


晴れた冬の空は澄んでいて気持ちがいい。
冷えた空気を大きく吸うと、鼻の奥がツンとする。

今日は短期留学の申し込み。
あの時は完全に勢いで言っちゃったけど、前の私でいたくなくなって、もっともっと前に進みたくなって、短期留学もやってみることにした。
たまに思う。
アキラさんの笑う声は優しかったな。
私に勢いをくれただけでも、この恋をした意味はあったんじゃないかなって。

私は美味しいものを作って食べて自分を元気にできるし、自分の足でどこへでも行ける。
またいつか誰かを好きになるかもしれない。
そのときまで、自分をたくさん好きでいよう。

(おわり)


こんなに長文をお読みくださり、ありがとうございました。
aikoの二時頃という曲をもとに小説をかきました。

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