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茨城旅行記 〜水戸弘道館〜

フィンランド、パリの旅行からあまり間を置かずに今度は国内旅行に行ってきました。

ちきりんのVoicyを聞いていて福島の旅の話がとっても興味深くて、いつか行きたいと思っていたところに一緒に行ってくれる子を見つけたので福島へ。

ただ、1日目は福島ではなく道中にある水戸の弘道館などに寄ってきました。

水戸といえば烈公と名高い徳川斉昭。
徳川斉昭といえば徳川慶喜の父で尊王攘夷クラスタくらいの知識しか持ち合わしていない知識貧弱な私。

弘道館の向かいにはうん億円で再建されたらしい水戸城大手門。
立派な門なのでくぐってみたくて弘道館の反対側へついつい移動。

門をくぐったら幼稚園、小学校、中学校が集中するエリアが。
これは中学校の校門。中学校の校門にとても見えない。さすが水戸志士を生んだ水戸の中学校。

もう少し進んだところに二の丸展示館なる小さい資料館が。
資料館のおっちゃんに手招きされ入ると、おっちゃんによる怒涛の徳川家末裔話が止まらない。
今日は徳川、松平家の末裔が年に一回東京に集まるすごい日なんだよ!
現徳川宗家当主の家広さんの奥さんはベトナムの方で、ベトナムではこの話超有名よ!
などなど教えてくれた。

この銅像は水戸黄門の格さんのモデルになった安積澹泊。資料館のおっちゃんが「読める?これ読めた人今まで3人しかいないんだよ」と言ってたけど、案の定間違える。
あさかたんぱく
と読むらしい。
ちなみに助さんのモデルになった人は佐々宗淳であの佐々成政の子孫らしい。

これまたうん億円で再建された二の丸角櫓もおすすめよーとおっちゃんに言われたので角櫓に向かう。
角櫓にしか行けない一本道が続く。

これが角櫓。
監視カメラで見張られてる。道中もいくつも監視カメラ。建築費もさることながら維持費もお金かかってそう。

中はこんな感じ。人もいない。

さっき見た大手門の扉だと伝わる扉が飾ってありました。

角櫓からまた弘道館前に戻る。やっと弘道館に入ります。

ちょうど桜の良い時期でした。
弘道館に入ると、黄色いジャンパーを着たおっちゃんにガイドはいかが?と声かけられる。ガイドはボランティアで無料。普通にやると40分かかるけど、20分で終わらせることもできると言われたので一旦は20分で依頼。

弘道館の建物は幕末の水戸藩の内紛で焼けたりして今残ってるのは正庁と至善堂など少しなんだけど、まずは残ってる正庁から。
入るといきなり斉昭の達筆な「尊攘」が!ずっと見たかったから見れて嬉しい。かなり大きな掛け軸。

天狗党の乱、弘道館戦争でできた銃痕もそのまま残ってました。こういうの見ると興奮する。

当時の面影残してます。

大奥の撮影スポットになった広場もあった。ここで武道の稽古してるのを藩主が見てたとか。

ここがさっきの広場を臨むことができるお部屋。ここに藩主が座って稽古や試験の様子を見てたらしい。

部屋の外には、斉昭が書いた「芸に遊ぶ」という意味の扁額が。
文武だけではなく六芸(礼儀作法、音楽、弓術、馬術、習字、算術)もやりましょうという論語の一節からきてるみたい。
ちなみに弘道館は15歳から30歳の人が学んだとのことで、長くない??と思ってたらこれも論語の、15で学に志し30にして立つ、のあれと同じってことかと後で気づいて、どんだけ論語に忠実なのかと思ってしまった。

湯殿もそのまま残ってた。
このタイミングでガイドのおっちゃんが
「お約束の20分が経ちましたがどうしますか?」
と声かけ。本当はもっと巻きで進めるはずだったんだけど私たちが質問しまくるから長くなってしまったらしい。でもそれはおっちゃんの説明が的確で分かりやすくて最高のガイドさんだから!ということで延長を申し入れ。ガイド続行。

ここは最後の将軍、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いから上野に遁走した後にさらに水戸へ謹慎していたときにいたと伝わるお部屋。

よくよく見るとこの部屋だけ畳の縁に葵の御紋。殿様のお部屋の畳はこうなんだって!

さっきと同じ部屋。焼けなかった至善堂。

これは慶喜が大阪から持ち運んだと言われる長持。

斉昭の梅大好きロックが爆発してる石碑の拓本。
梅は花もいいし、食べれるし、保存も効くし最高!
という、梅をなぜ植えたのかをわざわざ石碑に残す斉昭。

水戸黄門のモデルになった光圀公が編纂を始めた大日本史があった。
これは本物だよ、と言われたけど、そもそも全て木版に文字が彫ってあってそれで何個も刷って量産できたとのこと。これが完成したのは明治39年で編纂開始から240年経ってできあがったとのこと。
ちゃんとした歴史書で日本全国まわって使える資料集めてまわってたのが水戸黄門が助さん格さん連れて旅するあのお話の元ネタになったとか。
初代天皇から南北朝時代の100代目後小松天皇までの歴史が書かれているみたい。
この大日本史編纂をしたことをきっかけに水戸で学問が盛んになったとのこと。

学校に通う子どもたちの似顔絵も残ってた。あどけない感じの子もいて可愛い。

これは慶喜の達筆な書。
勝海舟がもらって、その後誰かにあげるときに勝海舟が左下に何か書いて渡したらしいけど、字がへたっぴでせっかくの素晴らしい書を台無しにしている。

ここでガイド終了。
最初に案内もらった40分ぴったりで終わらせる優秀なガイドのおっちゃん。
ボランティアなのにプロ意識半端ない。
時間を守るのがプロですから
とおっちゃんは言う。現役時代は相当優秀な方だったに違いない。
弘道館のガイドさんおすすめなのでぜひお願いしたほうが良いです◎

弘道館の後は茨城名物食べたいなということで見つけたこのお店へ。あんこう鍋美味しかった。

御飯のあとは県立の歴史館へ。これは小学校だった建物。

歴史館もなかなか良かった。でも時間なくてざっとしかまわれず。偕楽園も行きたかったなー

いよいよ福島へ!
道中ひたちなか海浜公園にちらっと寄ってネモフィラ見たけど三分咲きでした。でもまあまあきれいだったかな。

いよいよ翌日は福島へ!次回に続く。

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