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伝えそびれたこと

大学院を終えて日本に帰国する直前、私はロンドンの音楽大学に入り浸っていた。と言っても楽器のレッスンにあらず。実はその大学博物館内には楽器に関する様々な展示があったのだ。特に私が魅了されていたのが「絵画に描かれいてる楽器」。学芸員の方にお願いして、保管庫にあった絵画も見せていただいた。それぐらい、強烈に惹かれていたのだ。

当時私が院で学んだのはボランティアセクター組織論。この分野で研究職として日本の大学で働けたらと思っていた。が、その一方で、このテーマから離脱したいとの思いもあった。何しろ、アメリカであれば2年かけて学ぶ修士課程をイギリスは9カ月で終えるのだ。その分、コースは凝縮されており厳しかった。まじめな話、気がおかしくなるのではと思うほど追い詰められていた。それは英語を母語とするイギリス人クラスメートも同様だった。

だから頭の中では「このテーマを追求していこう。日本ではまだNPOの研究は少ないし」と考えていた反面、心の中では「もうボランティア組織論はおなかいっぱい」と本能的に思ってもいた。だからよけい「楽器」に強烈に魅せられたのだと思う。

調べたところ、日本でも楽器や絵画を専門にされている大学教授がおられた。そこで私は先生に手紙を書いた。なぜ自分がそれを研究したいのか、就職口としてあるのかなどをお尋ねした。先生からは日を置かずしてお返事が届いた。便箋3枚に渡る丁寧なお手紙だった。

海外で社会行政学を修めた者が、畑違いの分野でいきなり日本の学術界に滑り込むのはかなり難しいことが分かった。でも、先生はそんな私を落胆させることなく、励ましのメッセージを添えてくださっていた。見ず知らずの者への丁寧な返信。心が温まった。

しかし私は数十年経った今なお、悔やまれることをあのときしてしまったのである。それは「すぐにお返事を差し上げなかったこと」。誠意あふれる文面を頂戴しておきながら、返信しようしようと思いつつしそびれてしまった。いただいた文面が温かいものであったがゆえに、ちゃんとしたお礼状をと思いつつズルズルと月日が経ってしまったのだ。今でもこのことは大いなる後悔となっている。

私が敬愛するジャーナリストの故・千葉敦子さんの著作を読むと、やはり筆まめであられたことがわかる。読者の中には、彼女の記事や本を読み、ニューヨークの自宅住所あてに悩み相談をした者が少なくない。千葉さんはそうしたお尋ねに真摯に答えておられた。しかし相談者から即令状が届くケースはなかったらしい。その代わり、数週間経ってからいきなり菓子折りなどがドンと送られたとのこと。しかも添え状すらないことに憤っておられた。

つまり、誠意あふれる解答をした者からしたら、手紙が無事届いたかどうか、あの助言で良かったか気になっているのだ。だから、受け手は大仰なお礼状でなくてよいから、「すぐに」返信すべきと千葉さんは綴っていた。

私自身の失敗を思い出すたびに、千葉敦子さんの文面が脳裏に浮かぶ。


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