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ことばの手帖|美容部員の常套句

子供を産んでからメイクにかける熱量は、極端に落ちた。

20代の頃はメイク時間はファンデーションからアイブロウ、アイカラー、マスカラ、チークまで20分見積もっていた。しかし、今はドラッグストアで手軽に買える下地を塗り、なんとなく眉を描く。3分もあれば十分だ。

でも、年に数回ちゃんとメイクしたいときがある。

オフ会や仕事で人前に立つとき、ひさしぶりの人に会うとき。とにかく自分に気合を入れたいときだ。

そういう時は、とっておきのファンデーションを使う。

使うとき、いつもこのファンデーションを買ったときのことを思い出す。


2年前。当時書いていたメディアの記事がきっかけで、テレビの取材を受けることになった。取材の日まで2日くらいしかなく、資料を読み込みながら、当日の自分の身なりに悩んだ。テレビに映るようなメイク道具を持っていなかったのだ。


当時はマスク全盛期。収録もマスクで臨むとはいえ、いつも引きこもって記事を書いて過ごしていた自分の姿を(映す人も観る人も気にしないとしても)自分自身はふだんの状態でテレビカメラに映ることに、ものすごく抵抗があった。

当時から入っていたオンラインサロンで相談したところ、ある人に勧められたのがこのブランドだった。翌日、百貨店の化粧品フロアに駆け込んだ。

目当てのブランドコーナーに入り、ファンデーションをチェックして、美容部員さんが来るのを待つ。テレビに出ることになり(まわりは気にしていないとしても)映りに不安があるのでファンデーションを選んでいると、正直に伝えた。接客してくれた40代半ばくらいのベテラン美容部員さんは、手際良くファンデーションを選んでくれ、色選びから塗り方まで丁寧に教えてくれた。勧めてくれたパウダーとスポンジもセットで買った。なかなか値が張る買い物だったが、あとでテレビに映って後悔するくらいならましだった。

会計を済ませ、ファンデーション一式が入ったショッピングバッグを持ったさっきの美容部員さんが、出口まで送ってくれた。帰り際、笑顔で品物を差し出しながら、穏やかな声でこう言ってくれた。

「ご期待ください」

渡すタイミングや口調からして、きっと常套句なのだろう。もしかしたら、美容部員の方なら皆使うのかもしれないし、こういった百貨店で買い物に慣れていたら、何度も聞いているのかもしれない。だけど、私はこの言葉のおかげで、それまでの不安がふっと軽くなった。

あれから、このファンデーションを手に取る時は、必ずあの美容部員さんの言葉を心の中で唱えている。オフ会や大事なイベントで緊張していても、あのときの言葉のおかげで、緊張と向き合い、自分に気合を入れることができている。そして何より、美容部員さんの言葉が、ファンデーションに浸透して、自分を守ってくれている気がするのだ。


もし、いつか私と会ったときにこのファンデーションを使っていたら、きっとそういう日です。笑顔で話せていますように。




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