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YONEの自己紹介

初めましてYONEと言います。

1990年生まれで静岡県沼津市在住です。

私は元々を自動車整備士としてホンダのディーラーにいたのですが、学生の頃から起業をしたかったので
サラリーマンとして働きながら並行してEC事業を立ち上げ、ある程度その事業が軌道に乗ったところで会社を辞め起業して株式会社を作りました。

会社の事業内容としましては、自動車部品のECで、主に海外の自動車部品のブランドと契約し国内で販売するという事業でした。
結局当時の自動車業界のコネは一切使わず、コネも金も一切ゼロの状態から会社を作るに至りましたので、法律や税務、言葉の壁など多くの苦労がありましたがとても良い経験になったと感じています。


そして今年、その会社を清算し、新しく動画の事業を立ち上げました。


画像を加工したり動画を編集したりすることは趣味として行なっておりましたが、作った動画で人に影響を与えることが楽しく好きなのでそれを仕事にしたいと考えるようになりました。


時代の先端を切り開くようなアート的でデザインに特化したゴテゴテにエフェクトを加えた動画も、人間の心情の変化を促すために緻密に作られた動画もシンプルで好きなので、 あらゆるジャンルの動画を見ながらペンとノートを用意して日々勉強をしています。


グローバルで通用するジャパニズムを反映させた動画制作を展開すると共に、自らも動画を発信し、見聞を広め、何度視聴しても様々な見方があり、受け取り方も多様な、時代の先端を切り開くような動画をインターネットで世界中に拡散したいです。


15歳までの僕は

1990年静岡県に生まれました。
年に一度は怪我で手術をするような子供で、
この頃から未知なるものに興味がある子供で探検倶楽部や縄文時代の土器を掘りおこして、誰とも友達とは共有できずに一人で高揚しているそんな子供でした。


そして授業はまともに聞かないので僕の席は教卓の真横にさせられ、チョークの粉がめちゃめちゃ飛んできて机の上が真っ白になるという悲劇を感じながら過ごしていました。


当時は集団行動が嫌だったり、よくわからない勉強やキツイ運動が嫌で、よく学校に行きたくないと言っていました。

しかし今は勉強することも運動することも日常的にこなせるようになりました。


当時はなぜ勉強や運動が嫌だったのか考えてみるとそれは強制的にやらされている感じが僕に合わなかったのだと今では思っています。


16〜18歳の僕は

様々なものに憧れを抱く時期でした。
例えば、空手部で副部長という任務を遂行する中で武士道というものに触れ、幕末という激動の時代に武士道というものが社会を変える一つのキーであると痛感し、幕末に生まれていれば良かったと考えたり。


身の回りのものを分解していく中で、自動車と言う移動する家のような、ソファーも画面もエアコンも詰め込んだ一つの物体を分解して構造を知りたいと思いを馳せる立派な中二病患者でした。


19〜22歳の僕は


一度大学へ入学しましたが、義務教育の延長線上のような学習体系だったので通っていて面白い友人もおらず面白いこともなかったので、
大学へ通うことの価値が感じられず、入学してすぐに大学へ行かなくなりました。


そんな時に自分自身というものを見つめ直すために 普通であれば「旅」に出るんですが、
僕は三か月程引きこもり自分を[客観的に見たり][自分の内面]というものを書き出したりして何をしたいのかということを考え抜きました。
ここでの引きこもり時代に1日に倍速でアニメや映画を48時間分鑑賞したり、食料を取りに海へ魚付きへ行ったりと、今の僕の遊びに繋がっていたりします。


結局行き着いた答えは起業という答えになるんですが、起業するならばまずはインターネット業界だと決めたので、
インターネット関連の書籍を読み漁りましたが、圧倒的に知識量が足りず書籍やハードを買うお金もなくなり、
インターネットでの起業をしたいと親に伝え

「そのための資金として四年間通うはずの大学の学費を全部僕にください」

とプレゼンしたが両親共に

「大学へ行き就職しろ」という価値観が強く、「若くして起業するなんて必ず失敗するに決まっている」と話も聞いてもらえない状況でした。

その後どうするかといった時に、EC サイトを作ることにしましたが、ここで取り扱う商品は自分が好きな商材である「自動車」が良いと思い自動車について詳細な知識を得たいと考えていたので自動車の整備士の学校へ行くことにしました。

23〜25歳の僕は

専門学校卒業後、整備士として就職し働きながらECでの起業を勧めていました。
当時のサラリーマン時代は意外と楽しかったりしましたが、

このままここにいてはどんどん沈んでいくだけだと痛感し、僕は僕の道を行くために起業の準備を進めていきました。
そして「仕事に行き帰ってきて仕事」を繰り返すこと2年ほどで自動車部品のECで起業しました、結局当時の自動車業界のコネは一切使わず、コネも金も一切ゼロの状態から会社を作るに至りました。


26〜28歳の僕は


会社を作り事業を進めることには多くの学びがありました。
会社を経営するという経営の基本を現場で学ぶことができるのは実際に起業してみた人だけだと感じました。
そして、その会社の運営に関わってくる税務の知識や、契約の知識など、実際に行動しなければ身につかないような学びが多くあることに気づきあるました。


また僕が行っている事業は海外の会社と代理店契約や業務提携を行いながら日本国内でのEC サイトを運営していたので、
様々な国の経営者と接することもでき、また多様な人種のリモートワーカーを採用し関わっていく中でも非常に貴重な体験ができたと考えています思っています。

これから何を創造していくのか

閉塞感が強まりあらゆる世代間の課題が多く課題先進国といわれる日本において、
もしも、僕が自発的に学ぼうと思わなければ、きっと未だに無理して笑顔を作りながら苦しみに耐えて日々を送っていると思い、
今必要なのは「自分の人生において必要な学びを学ぶ」ことができる場なのではないかと考えました、また、僕が苦しかった時に欲しかった言葉や考え方を一人でも必要な人がいれば届けたいと思い、このように情報発信を始めました。

僕が行動したことによって得た経験値をこれから生きていく皆さんにシェアできれば
新しい価値というものが生まれ
皆が楽に生きていけるのではないかと考えています。

そして自動車を量産し革命を起こしたヘンリーフォードが言った言葉

もし顧客に欲しいものを聞いていたら、もっと速い馬が欲しいと答えていただろう

この言葉のように全く予想もできない視点から発信していきますのでよろしくお願いします。


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