意識が宇宙を作り出すとはどう言うことか


そもそも、言われていることの一つ

我々の意識が世界を作り出すという事に関して、

やはり物理的に考えてしまう脳では少し疑問が残るが当然である。

これはどう言うことか、


①まずこの『意識が宇宙を作る』と言う言葉の持つ意味は?

動植物など既存の生物の宇宙観と我々人族の宇宙感にはそもそも隔たりがある、これは意識的にも見て理解が及ぶ。

人の宇宙感に関してこの①を取り入れるならば、

我々が宇宙観を持つからこそ宇宙がそのようにして意識的に存在する事になる。

この意識が変わる時、宇宙というものは姿形を変える。

そもそも宇宙は断定的に存在しているのではなく、我々はそれを解明していっている段階であり、明確に何かが決まってしまったわけではない。

だからこそ後天的な要素として、宇宙に変化が訪れるというものでもある。
つまりは宇宙という概念は生物種の違いにおいてそもそも異なり、新しい概念と秩序を組み込みさえすれば、
宇宙そのものを我々が発展させることすら可能という事だ。



②宇宙の可能性は無限大である事の意味

我々は飛行機を作ったり、鉄道を作ったり様々な事を達成して世の概念を変えてきた。

例えば

・例えば遥か原始の時代に飛行機は飛んでいたか?

・例えば遥か原始の時代に、高速で移動できる手段は存在したか?

・例えば遥か原始の時代に遠方にいる人々と意思の疎通ができたのか?


NOとYES

過去の高度文明に関する話を抜きにしたとして
これらの答えはいづれも太古においてはNO、
最先端ではYESだろう。

ではその間では?
ではこの先未来では?

原始と最先端の間においては、YESに度合いの違いが存在する。
未来においてはYESにこれもまた度合いの違いが存在するはずだ。

それぞれの時代区分において、それぞれ宇宙感も違えば、生命感、地球感、人の意識など含め全てに違いが現れるだろう。

ではこの違いに対応するかの如く、宇宙の可能性、自然の原理は変わったのか?

その問いに対しては、答えは皆ともに一緒である。

それは普遍である。


しかしこの普遍という事がそもそもの問題となっているかにおもう。

この普遍を果たしてどう捉える?

我々は全てに対し、果たして何%の理解を達成させてこれたのだろうか、一般的な感覚からすればコレは知れば知るほどに不鮮明さが広がっていくかにも思う。


変わりゆくYESに対し普遍のNO

ただ言えることは、空を飛ぶ為に利用した原理はNOの時代から存在していた。

高速に移動するための原理はNOの時代から存在していた。

意思を伝達する原理はNOの時代から存在していた。

つまりはYESの時代の原理は既にNOの時代から存在していたはずの原理を用いたものである。

ならば、飛行機も、移動手段も、通信手段も形を成さなかっただけで既に存在していた事になるという解釈も可能なのだとも思う。

そう、全てはなくても全てが存在していた事になる。

これが普遍の持つ絶対的な無限の可能性であり、

意識が宇宙を作り出す所以であり、無は既に有である理由だとも言える。

全ては何か具体的なものを無の中から選んで実感しているに過ぎないのだ。

全てはもう随分と前から既に揃っている。
我々はそれを発見するのではなく、
ただ単純に思い出すだけでいいのかもしれない。


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